自傷行為と自殺。
私は心理学を学んでいます。
出来るだけ心理学の楽しさをお伝えしたいと思って記事を書こうと思っています。
でも、今回はかなり重たいお話をさせてもらいます。
自傷行為と聞いて、何を想像しますか?
大抵の人は、「リストカット」を想像するのではないでしょうか?
読んで字のごとく、リスト(手首)をカット(切る)行為です。
他にも様々な自傷行為はありますが、今回はリストカットに注目してお話をします。
ストレスの発散法は人それぞれ
最初に、ストレスのお話です。
ストレスとは、自分が深いと思ったこと全てに対して起こる症状です。
熱い・寒い・痛い・かゆいといった、物理的な刺激によるストレスと、
悲しい・辛い・苦しいといった、精神的なストレスがあります。
ストレスがかかると、人はストレス反応を示します。
胃が痛くなる、頭が痛くなる、体がかゆくなる・・・様々です。
でも、ストレスをため込まないように、ある程度ストレスを感じると、発散する方向に行動が向きます。
発散方法としてよく行われる行為には
・友達と飲みに行く(愚痴をきいてもらう)
・カラオケで大きな声で熱唱する
・体を動かす(筋トレやランニングなど)
・趣味に没頭する
などが挙げられます。
あなたは、どれに当てはまりますか?
多くの方は、上記のような方法でストレスを発散することが出来ますが、一部の方は、自分のストレスを思うように発散できないのです。
思うように発散できない人は、上記のような「自分が楽しくなるような発散法」が取れず、「自分が楽しくない発散法」に行動が向いてしまいます。
自分が楽しくない発散法としては
・暴飲暴食(やけ食い)
・物や他人への攻撃(物理的・精神的)
・自暴自棄(性的逸脱など)
・自傷行為
などがあります。
自分が楽しくなるような発散法も、自分が楽しくない発散法も、同じストレス発散法です。それに正しい間違いはありません。
ただ、楽しくなる発散法は、すっきりするのに対し、楽しくない発散法は、その時はすっきりしても、時間が経つにつれ、その行為自体にまたストレスを感じてしまうのです。
2つの発散法の違いです。
何故自傷行為はやめられないのか
自傷行為を行う人が、楽しめるストレス発散法をもっていないわけではありません。
趣味もあれば、好きなこともあります。
なのに、なんで自傷行為に至ってしまうのかというと、ストレスを内に閉じ込めてしまうからです。
外に向かって発散できればいいのですが、それがなかなかできなくて、自分の中にため込んでしまうのです。
そのため、本当は誰かに聞いてもらいたい話が合ってもなかなか話せなかったり、好きなことをやっていても、いきなり虚しさに襲われてしまうのです。
自傷行為は、決して「死にたい」と思っている人だけが行うことではありません。
「死にたい」と思っていなくても、リストカットは、例えるならピアスを開けるような感覚、タトゥーを入れるような感覚でで行ってしまうのです。
リストカット自体をしたいのです。
沢山ピアスをつけている人や、沢山タトゥーを入れている人と同様に、リストカットを行うこと自体が、その人の自信となるのです。
自信をつけるために自分の体を傷つける・・・。
これは、「認知の歪み」です。あまりよくない思考です。
また、「死にたい」と思ってリストカットをする人は、
泣きながら、苦しみながら、自己否定の渦の中で行っています。
これは本当に辛いことです。
リストカットしか逃げ場がない状態です。
自身でリストカットを行ったことがある方、また、リストカットの画像などをご覧になった方ならわかると思いますが、リストカットでは到底死に至ることはありません。
人間の皮膚は何層にもなっていて、思っている以上に厚いのです。
大切な血管(動脈)や神経は、内側に収められているので、そこまで切るには
よっぽどの覚悟と切れる包丁(カッターやかみそりでは無理)でないと、致命傷にはなりません。
そもそも、手首を切る行為自体が、死ぬことは難しい行為なのです。
本当に死にたいのなら、もっと簡単に致命傷を負える方法はあります。
テレビドラマなどで、手首を切って自殺・・・というシーンが印象に残るのか、
自殺=手首を切るというイメージがありますが、相当難しい方法です。
なのに、なぜ手首を切るのか?
手首を切ると、「痛み」を感じます。そして、「血」が溢れます。
自分の「痛み」を感じ、流れる「血」を見ると、人間は冷静になります。
自分で行った行為ならなおさらです。
これは、本能的に身を守ろうとする防衛機能が働くからです。
抑えきれないストレスが爆発し、自分の手首を切ることで、冷静になる。
この時、脳からは痛みや辛さを緩和しようとする物質が放出されています。
これも防衛機能です。
麻薬にも似たこの物質が、またストレスを感じた時に手首を切る行為を後押ししてしまうのです。無意識のうちにその物質に依存してしまうのです。
これが、リストカットを辞められない理由です。
ただ、何度もリストカットを繰り返すと、その痛みになれてしまい、脳から緩和する物質が放出されなくなってきます。そうすると、切り傷は最初より深く、大きくなっていってしまいます。
そうなる前に、出来るだけ早く、病院に行ってもらいたいと願います。
傷跡が残って辛い思いをするのもまた、本人なのです。
リスカは「やめなさい」はだめ?
周囲からすれば、「これ以上リスカはしないで」「もうやめて」と思うでしょう。
それは当然のことだと思います。
ただ、上記に描いたように、自傷行為に依存してしまっている状態では、聞く耳は持たないどころか、無理やりカッターやかみそりなどを取り上げてしまうと、ストレスの発散方法がなくなってしまい、更にエスカレートした行動になってしまう可能性がたかくなります。それこそ、「いのちの危険」です。
本当に辞めさせたいのなら、まず、
・リストカットを始めた理由
・いつ、どんなときにリストカットをしたくなるのか
・どうすればリストカットをしなくてもストレスを解消できるのか
という、原因と解決法を一緒に考えていきましょう。
リストカットをしてしまう理由さえなくなれば、自然としなくなるものです。
頭ごなしに「だめ」と言ってしまうだけでは解決しません。
難しいようなら、カウンセラーさんを頼るのも一つの方法です。
全く知らないカウンセラーさんの方が、話しやすいかもしれません。
まずは、傷口ではなく、本人を見てください。
自殺未遂と自殺の差
最期に、自傷行為と自殺の違いです。
「死にたい」と思うことは、普通のことです。
日常生活の中でも、「あー死にたい!」って、簡単に口にする人もいますよね。
「死」ということは、生きていれば誰でも考えたことはあるはずです。
いざ、死のうと思っても、遺される家族、今までの人生、死ぬことへの恐怖・・・
などが混在して頭の中をぐるぐると駆け巡り、結局できない。
そういう人が多いのではないでしょうか?
でも、それは「正常」な判断です。
まだ、この世に未練がある、死んだ先のことを考えることができるのですから。
この直前の「思考」が、生死を分けるデッドラインだと私は思っています。
本当に自殺を遂行してしまった方からは、お話が聞けないのであくまでも私の考えですが、本当に亡くなってしまった方は、死の直前、そういう「思考」はないのだと思います。ただただ「死にたい」「楽になりたい」それしか考えてないと思います。
電車に飛び込んだり、ビルから飛び降りたり、第三者からしてみれば、
「他人に迷惑かけずに山奥でひっそりと死ねよ!」と言いたくもなりますが、
その瞬間、「他人のこと」「その後のこと」なんて、考えていないのです。
多くの自殺は、突発的に起こると思っています。あらかじめ計画的に実行する人は少ないと思います。
もう、正常な判断が出来なくなっているからです。
悲しい亡くなり方ですよね。
映画「ちょっと今から仕事辞めてくる」の冒頭の部分なんて、まさにそんな状態だったんじゃないでしょうか?
「死にたい」と打ち明けられたら?
これは、本当に難しい問題です。
私もなんと声をかければよいかわかりません。
多分、話を聞いてあげるだけでは救えません。目が離せない状態です。
私はうつ病で、主治医からは「死にたくなったら入院しましょう」と言われています。
入院するのが、もしかしたら最善の方法かもしれません。
まずは、一緒に病院に付き添いましょう。
下手に説教じみた言葉は必要ないのです。その言葉は心に届かないのですから。
今回は、自傷行為と自殺について書いてみました。
色々とご意見はあると思いますが、これはお勉強半分・自分の体験談半分っていう感じです。
精神的な病になる人も、自傷行為をする人も、自殺をする人も、いなくなる世の中になればいいなと思っています。こんなに辛い思いはしたくないし、してもらいたくないです。
自身で精神状態が心配な方、周囲に元気がない人がいる方、一日も早く専門医に相談をしてください。それが将来的に一番の幸せにつながっていくと思います。
読んでくれてありがとうございました。