あまねの心理師への挑戦

現在放送大学で心理学を学んでいます。 メンタル心理カウンセラー取得。上級心理カウンセラー取得。

死にたいという感覚。

あまねです。

 

今日は、「死」という重たいテーマでお話してみようかと思います。

 

生きてきて一度も「死にたい」と思ったことがない人はいないと思います。

本気だろうと、冗談であろうとです。

 

何故、「死にたい」と口に(文字に)してしまうのか。

 

「死にたいほど今現在辛いんだよ」

「恥ずかしい失敗をしてしまって、もう死んでしまいたいよ」

「死んだら楽になるのかな?」

 

等など、時と場合によって「死」という言葉を使い分けている所はありませんか?

上の3つの場合の「死」は、大体「大丈夫な死」です。

口に出して、文字にして発散しているんです。

 

問題なのは、物言わぬ「死」です。

その人の心の中にだけにとどまっている「死」です。

 

周囲からは気づかれません。

お話をしていてもわかりません。

 

何故なら、本人が「死」を悟られないように振舞っているからです。

 

なので、後から

「何で話してくれなかったの?」

「そんな辛い思いをしてたなんて知らなかった」

「死ぬなんてばかだ!」

という言葉が周囲から出てくるのです。

 

要は「死にたい」という気持ちを吐き出す場所がなかったのが原因なのかなと

私は思います。

 

 

 

内に秘めてしまっていても、知らずに零れ落ちている「死にたい」という気持ち。

周囲の誰かがそれを見つけてくれればまだ救われるのかもしれない。

でも、周囲にそういう人がいない人。

ネットの世界を頼ってみてもいいのではないのかなと思います。

 

SNSで自分の想いを不特定多数の人に伝える。

自分のことを理解してくれる人を見つける。

同じように「死にたい」と闘ってる人とつながって、助け合う。

 

今の時代、リアル以外でも人とのつながりは作れます。

例え顔も名前も住んでいる所も知らない人でも、言葉は交わせます。

それが助にもなったり、他の人を助けることにもなったりします。

 

前回も書きましたが、私はそういうSNSを活用してリハビリを行っています

心無い言葉を賭けられることもありますが、私のことを理解して

応援してくれる人とも知り合えることもできました。

 

そんな中。私の中の人格でもある「暴れるさん」はもしかしたら役目を

果たしたのかもしれないと思ったのです。

私のストレスを全て受け止めてくれていた暴れるさんは、今どろどろに溶けて

スライムのようになっています。そして、光り輝いています。

 

暴れるさんに頼らなくても、ストレスを発散することが出来るように私が

成長できたという事でしょうか。

 

無理にとは言いません。この方法が正解なのかもわかりません。

ただ、私はSNSを通して、リアルでは知りあえなかった多くの人と知り合うことが出来、お話をして、元気を分けてもらえたことで、前向きになってきたと

思っています。

 

これも一つの方法だと思って。

 

死にたくなったら、SNSも活用してみましょう。というお話です。

ただし、いきなり「死にたいんですけど」って切り出さないようにね!

■相談に乗ってくれる人いますか?

■悩みがあります

みたいな感じで始めてください。

きっと、力になってくれる人が見つかるはずです。

少なくとも私は力になりたいと思っています。

 

皆で生きたいです!

皆で未来を見たいです!

 

それが私の願いです。

 

読んでくれてありがとうございました。