あまねの心理師への挑戦

現在放送大学で心理学を学んでいます。 メンタル心理カウンセラー取得。上級心理カウンセラー取得。

しつけと叱ること。

今日は、「しつけと叱ること」について、お話をしたいと思います。

 

度々目にする幼い子供の虐待報道。

どうしてこんな酷いことができるのか。

見るたびに心が痛みます。

 

オペラント条件付けは、よく犬をしつける時に用いられる方法です。

「アメとムチ」という言い方の方がわかりやすいでしょうか。

 

犬が言うことを聞いたら、ご褒美(褒める、おやつをあげるなど)を与え、

犬が言うことを聞かなかったら、罰(叱る、おやつをあげないなど)を与えることです。

これを繰り返し行ううちに、犬は飼い主に褒めてもらったことと叱られたことを覚え、

褒められたことを積極的にするようになり、叱られたことはやらなくなります。

 

例えで犬を出しましたが、もちろん同じ生き物ですので、人間にも同様のことが起こります。

 

100点を取ったら褒められた(また100点をとろう!)

30点で叱られた(頑張ったのに・・・)

 

犬と違う点は、そこに感情が関わってくることです。(犬にも感情はありますけど💦)

上記のテストの点でいうと、30点を取ったとき、親に叱られた場合

・激しく落ち込んで、自分は馬鹿だな・・・と、自分を責めるパターン。

・次は見返してやる!と、今まで以上に勉強を頑張るパターン。

・難しかったんだから、仕方がないじゃん、と、なげやりなパターン。

と、色々な反応があると思います。

 

ここで問題なのは、なぜ同じ30点のテストで叱られても、反応が異なってしまうかということです。

これは、「叱り方」が関係してきます。

 

しつけでは、良くない行為を良い方向に導いていくという意味合いがあります。

外食で、店内を走り回ってしまう子供を、おとなしく席に座らせる。

これは、しつけですね。

ただ、しつけでは、「叱る」ことをしては効果がありません。

「皆の食事の迷惑になるから、おとなしく席に座っていようね」

「うるさい!ちゃんと座ってなさい!(頭ポカン)」

上はしつけで、下は叱っています。

 

しつけでは、なぜしてはいけないのか?なぜしないといけないのか?と、

正しく理由をきちんと説明し、子供を納得させる必要があります。

これは大事なことです。

例えば病院で走りまわる子供に「看護師さんに注射されるよ」というのは、

しつけではありません。なんで走り回ってはいけないのかを正しく説明していないからです。

これでは、子供は病院(看護師さん)は、注射をする嫌な所(人)と覚えてしまいます。

「病気の人がいる所だから、騒いだり走ったりしたらいけないよ」

って、正確に病院とはどういうところかを説明する必要があります。

 

そして、本題ですが「叱る」です。

「叱る」ことには、何も良いことがありません。

ほとんどの方は、叱るとき、自分の感情に任せて子供を怒鳴ったりたたいたりしてしまいます。(後からフォローを入れることも大切ですが、しないよりはましな程度です)

感情に任せて叱られたことからは、子供は何も学ぶことが出来ません。

「どうして怒られたのか?」「なんでたたかれたのか?」

頭の中はパニックです。

 

そして、本当に怖いのは、その叱られることが日常化して、子供が叱られることになれてしまうことです。

「叱られている間、たたかれている間、我慢すれば済む」

という思考に陥ってしまうのです。

叱られる理由が分からないので、叱られていることに対して何を直せば叱られずに済むのかが分からないからです。

 

最初は泣きながら「ごめんなさい」と謝っていた子供も、慣れてしまうと、

ただ時が過ぎ去るのをじっと耐えるだけで、泣くことも、謝ることもできなくなってきてしまいます。

それだけ、親の存在は大きく、恐怖なのです。

 

そうすると、今度は親の方は子供を見て、「反省していない」「罰が通じていない」と感じるようになり、子供が泣くまで、謝るまで、どんどん叱ることがエスカレートしていってしまうのです。

 

頭や身体をたたいても、子供が「痛い」と言わなければ、「もっと強くたたかないと!」

となってしまうのです。

 

これが、叱りがいつのまにか虐待になってしまう一例です。

 

子供が幼ければ幼いほど、自分の身を自分で守る方法なんてないのですから、

ずっと耐え続けなければならない状態になってしまいます。

叱りや虐待は、長期化すると子供の脳にも影響が現れます。

脳が委縮してしまい、思考が出来なくなってしまうのです。

頭の中で、優しいお母さんと遊んでくれるお父さんを想像したり、

美味しいものをたくさん食べることを想像したりと、現実世界から逃避を始めます。

 

最終的には、虐待をされている間、「これは夢」「これは現実じゃない」と現実から目を背けてしまい、想像の世界の中に逃げ込んで耐え続けます。

 

そうなるともう、想像するしかできなくなり、食事も着替えもお友達も何も考えられなくなります。

親のことも。

ずっと、横たわってうつろな目でただ天井を眺めているだけ・・・という状態になってしまいます。

 

児童養護施設で保護されたり、悲しいことに天国に行ってしまった場合、親にはもちろん罰が下されます。ただ、親に下される罰は、子供が味わってきた理不尽な罰と違い、国に守られた法律の下で裁かれる罰です。

同じ目にあわせてやりたいって、本心では思ってしまいます。

 

子供も中学生や高校生になると、体も親とさほど変わらなくなり、語彙力も増え、歯向かうこともできるようになるでしょう。

そうなると危険なのが、自分の身を守るために、最悪な行動をとってしまうことです。

 

「親を殺す」という方法です。

 

幼い時から理不尽に叱られ、虐待を受け続け、それでも踏ん張って生きてきて、

ある日突然気づくのです。

親からたたかれそうになったとき。反射的に手でガードできたこと。

やり返してみたら、意外と親が弱かったこと。

 

「なんだ?こんなやつにずっと虐げられていたのか?」

 

いままでやられっぱなしだった自分に、やり返せるんだという「希望」が芽生えるのです。

これが「希望」なんて、本当に切ない話ですよね。

 

そして、その「希望」「もう嫌な思いはしたくない!」という気持ちがあふれてきて、

衝動的に行動にうつってしまうのです。

 

近年、親子間での殺人事件の報道を目にします。

そのたびに、本当に心が痛みます。

何か最悪の状態になる前に、何かできなかったのか?

せめて子供を守る方法はあったのではないか?

考え出したらきりがなくなってしまいます。

 

もし、私の住んでる近くにいたら・・・。

もし、知り合いの家族のことだったら・・・。

 

どうしても、他人ごとには思えません。

主治医からは、「しばらくニュースを見ないように」とまで言われるくらい、自分の中では大きな出来事でした。

 

この先、これ以上悲しい子供が増えないように、どうか子供の「叱り」方を世の中の子を持つ方に考えてもらいたいなと思います。

 

感情に任せず、きちんと正しい理由を説明して叱る。

たまにはいいんです。感情に任せて叱っても。

でも、なんで怒っているのかは、必ず伝えるようにしてください。

 

そして、自分の子供のころを思い出して。

3歳のころ、何ができましたか?

5歳のころ、何ができましたか?

子供は毎日成長しています。どうかできないことで叱らないでください。

 

本当にどうしようもなかったら、公共機関を頼ってください。

自分のために。子供のために。

辛い決断になることでも、命を失ってしまうよりはましなはず。

 

呼んでいただいてありがとうございました。