寄り添うということ。
あまねです。
今日のお話は「寄り添う」という言葉についてです。
元々寄り添うという言葉の意味は、
ぴったりとくっつく
という、物理的な距離を指します。
いつからか、精神的にも同じような意味でつかわれてきたようです。
今、ネットで検索しても、本来の物理的な距離での意味よりも、
精神的な距離での解釈の方が多くみられます。
ただ、私個人としては、この「寄り添う」という言葉が、心理学を学び始めてからどうもしっくりこなくて、あまり使いたくないし、聞きたくない言葉です。
自分でもなかなかその理由が分からなかったのですが、何となくですが、
私は寄り添ってもらいたくない!
っていう自分の気持ちがあることに気づきました。
なんというか、パーソナルスペースに入り込まれてしまうような感じがしてしまうのが、使いたくない理由なのかもしれないです。
もっと、使いやすい言葉があればいいのになぁ~って考えてます。
一番しっくりするのは「共感」ですが、共感するだけでもその先には進めません。
相手と同じ気持ちになったうえで、その先が必要だからです。
この「共感」に対しても、一部の自称カウンセラーを名乗る人が、誤った使い方をしていて、一度それとなく注意?みたいなことをしたのですが、
「自分には自分のやりかたがある」
と突っぱねられてしまいました。
具体的にいうと、
Aさんは自殺を考えていました
自称カウンセラーを名乗る人は、Aさんに共感して自殺の方法を教えていました
これは「共感」ですか?「寄り添う」ことですか?
私は、共感したり寄り添ったりしても、一緒にネガティブな方向へ進むことは
違うと思うのです。
自称カウンセラーを名乗る人は、
「具体的な自殺の方法を教えれば、怖くなってやめるはずだから」
と言います。
本当でしょうか?根拠はあるのでしょうか?
私も何名かの人に、「死にたい」を相談されたことがありますが、
死に方を教えるなんて恐ろしいことは考えたこともなかったです。
実際にカウンセラーの資格はピンキリで(以前もお話しましたが)
しっかりと実習も受け、専門的知識も先輩カウンセラーから教授しているカウンセラーさんもいれば、お金さえ払えば誰でも取得できる(言い方は悪いですが)カウンセラーもいます。
それは、特に国で基準を設けていないから、様々な団体がカウンセラー養成講座を開いているからです。臨床心理士に近い深い専門性のある知識を教えてくれるところから、それこそスピチュアルなものに近いところまで、探せばいくらでも見つかります。
心理師の国家資格が最近できたばかりなので、カウンセラーに対する国としての基準が出来るまではまだまだ時間がかかりそうです。
なので、相談するときは、どのようなカウンセラーなのか、しっかりと見極めないとなりません。
ネットで簡単に相談できるとか、無料で話を聞いてくれるから(ツイッターのDMなどで)という安易に活用できるカウンセラーさんは、相談する前に口コミを見てくださいね。
一部の心ない自称カウンセラーを名乗る人のために、頑張っているカウンセラーさんが同じような目で見られると思うと悲しくなります。
これはどんな職業でも言えることですけど。
私は一応カウンセラーの資格?は持っていますが、まだまだ人様の相談を仕事にするほどの技術も経験もありません。
公に「私に相談してください」とはとても言えないです。
ただ、私のことを頼って苦しい胸の内をお話してくれた方には、全力で力になれたらと、それだけは心に誓っています。
でも、やっぱり私の心の中で常に引っかかるのが「寄り添う」という言葉です。
多分、カウンセラーをお仕事にしたとしても、私はクライエントさんに「寄り添う」ことはできないと思います。
寄り添うことが「抱きしめる」ことだとすると、私は横に座るのが精一杯です。
ただ、クライエントさんから「抱きしめて」来られたら、全身で受け止めたいとは思っています。
なので、私は「寄り添う」カウンセラーではなく「寄り添われる」カウンセラーを目指しているのだと思います。
私から主体的にクライエントさんに歩み寄るというよりは、クライエントさんが歩み寄りたくなるようなカウンセラー。
それが私の理想です。
まだまだ未熟な私なので、また実習などで経験を積めば考えが変わるかもしれませんが、今はこういう考えでいます。
クライエントさんにも様々な方がいるので、カウンセラーさんも多様であっていいですよね?
でも、自称カウンセラーを名乗る人のような「共感」の仕方には「反対!」と声をあげてこれからも活動していきます。
読んでくれてありがとうございました。
もし、差し支えなければ、あなたの理想のカウンセラーさん像を教えてください。
@keepittgether01(あまね)