あまねの心理師への挑戦

現在放送大学で心理学を学んでいます。 メンタル心理カウンセラー取得。上級心理カウンセラー取得。

脳とパソコン。

あまねです。

 

無事に2学期のテストを終えることが出来ました!

無事?無事・・・。ということにしておきましょう(笑)

 

今回は特に

 ■生理心理学

 ■比較認知科学

の2科目が最重要でした。

この2科目の単位が取れれば、認定心理士を申し込むことができるのです。

認定心理士は、心理士の卵の印。

資格ではありませんが、一通り必要な心理学の勉強を済ませましたよ。

っていう、通過点の印です。

私はこれを目標に、勉強をしてきました。

 

が。次なる目標は「公認心理師」です。

目標は大きくもとう!という気持ちです。

実際になれるかどうかは別にして、今まで以上に気を引き締めて

お勉強を頑張ろうと思います。

 ■人体の構造と機能

 ■疾病の成立と回復促進

 ■知覚・認知心理学

を、そのために受検しました。

上2つは、看護系のお勉強です。

心理学では主に首から上のことしかお勉強しないので、

首から下の未知なる世界を勉強しました。

結果は・・・どうなることやらです(笑)

 

心理学は首から上の学問?

というのも、心理学で扱うほとんどが「脳」です。

視覚・聴覚といった感覚も大切ですが、全ての情報を処理しているのが

脳なんです。だから、脳の勉強が必然的に多いのです。

とはいうものの、脳についてわかっていることはほんの少しです。

実際に生きた人の脳で実験が出来るわけではないので、なかなか

研究・解明ができないという側面もあります。

脳に何らかの損傷を受けた方の協力なくして発展できない領域なんですね。

プライバシー厳守で、患者さんのお名前は伏せてありますが、イニシャルや愛称で

論文に記載される例がほとんどです。本当にありがとうございます。

 

パソコンは脳の解明のために発明された?

実際に人間の脳で研究が出来ないのなら、人間の脳に似せたものを作って研究をしよう!

という発想で開発されたのが、今のパソコンです。

当初は簡単な演算機能しかできない割に、一部屋使っちゃうくらいの巨大な機械だったそうです。

今、片手で簡単に操作できるスマホも、実は脳の研究から派生した産物だったんですね。

パソコンを使って何を研究したかったのかというと、人間の「記憶」についてです。

 

どうやって記憶して、どうやってそれを忘れないようにしているのか。

どうして忘れてしまうことがあるのか。

 

この疑問を実験で検証したかったのです。

以前も書きましたが、心理学では「信頼性」と「妥当性」が必要です。

想像や推測で語ることが出来ないのです。

信頼性と妥当性を裏付けるための「データ」が必要になってきます。

そのデータは数値化され、グラフ化されます。

目に見えない脳の動きを、目に見える形にすることが研究を進めていく上で

とても大切なことなんですね。

それは、「いつ」「どこで」「誰が」同じ実験をしても、ぶれない研究結果が必要だからです。人によってやり方が違ってしまったら、そして結果が異なってしまったら。

信頼性がなくなってしまいますよね。その実験自体無意味なものになってしまうのです。

 

脳の記憶の仕組みをパソコンで解説

というわけで。前置きが長くなりましたが、脳の記憶の仕組みについてさらっと解説します。出来るだけ専門用語を使わずに頑張って書いてみますので、どうぞ読んでください。

 

①短期記憶

短期記憶というのは、脳の海馬というところに一時的に補間されるごく短時間の記憶のことです。すぐに忘れてしまいます。

ある研究では、だいたい7つくらいしか覚えて置けないという研究結果もあります。

例えば、朝通勤や通学のために家を出ます。目的地にたどり着くまでのことは覚えていますよね。歩いて駅まで行って、電車に乗って駅で降りて歩いて・・・という風に。

ただ、その間の記憶はどうでしょう?すれ違った人。同じ車両に乗った人。ぶつかりそうになった人。隣の人の会話の内容。全部覚えていますか?

覚えていないですよね。そんなに事細かく覚えていたら大変です。疲れちゃいます。

パソコンで例えるのなら、ブラウザーで何かを調べた時、保存せずにブラウザーを閉じてしまう。そんな感じです。ブラウザーを開いているうちは覚えているけど、閉じてしまうと忘れてしまう。脳内に保存していない記憶です。

 

脳の中では、記憶に保存するかしないかを仕分ける作業が常に行われています。

不要なものは消去して、必要なものだけ保存するのです。

脳の容量も無限大ではないので、不要なものは自分の意志に関わらず無意識に消去という作業を行っているのです。

 

②長期記憶

長期記憶は、短期記憶から選ばれし記憶だけがたどり着ける、いわゆる記憶のエリート集団です。長期記憶はその名の通り、長く記憶に残ります。パソコンでいうと、ハードディスクに保存された状態です。

短期記憶を長期記憶にしたいとき、有効的な方法が「忘れる前に思い出す」ことです。

短期記憶は数秒から持っても数日の短い記憶です。繰り返し思い出すことにより、脳は「これは大切な記憶」と判断して、長期記憶に保存してくれます。

暗記科目のお勉強で繰り返すことは、記憶の定着に繋がり、忘れにくくなります。

 

③ゴミ箱

パソコンのごみ箱機能です。

短期記憶から消去された記憶(長期記憶になれなかった記憶)でも、完全に消去されるわけではありません。パソコンのごみ箱機能のように、一度消去された記憶でも、復活するときがあるのです。

その一例が「フラッシュバック」です。

なにかの拍子で、ごみ箱から取り出されて、一気に長期記憶に移動してしまう記憶です。

フラッシュバックについては、今回はお話しませんが、脳の恐るべき底力というか、

どこにどう記憶が残っているのかわからないものですね。

まだまだ解明されていないです。

 

覚えてるのに思い出せない理由

喉まで出かかってるのに!知ってるはずなのに!

と、思い出せなくてイライラしたことはありませんか?

記憶は、記憶と記憶がつながってできています。

個別に保存されているわけではなく、カテゴリー別に関連をもった記憶通しがつながって記憶のネットワークを作っています。

そのカテゴリー別の分類の作業の時に、きちんと整理整頓されていないと、

なかなか思い出せない、別の関係のないことを思い出してしまう。という現象が起きます。

覚える時にもカテゴリー別に覚えていくのが、効率が良いというわけです。

パソコンに例えると、データをフォルダー別に仕分けているか?ということです。

細かくフォルダー分けしてあれば、必要なデータはすぐに見つけられます。

適当に突っ込んでしまったり、名前をきちんと付けないで保存してしまったデータは、探すのにも時間がかかります。

それと同じことが脳の中でも起こっているのです。

 

そんなこと言っても、どうやって整理するんだよ!って言われそうですね。

その整理を行っているのが、私たちが眠っている間です。

眠っている間、外界の刺激が少ない時、脳の中で集中して仕分け作業が行われるのです。

徹夜して試験を受けるより、ちゃんと寝た方が成績が良いっていうお話は、ここからきています。記憶の定着・思い出しやすくするためにも、睡眠は大切だということです。

 

ポジティブよりもネガティブな脳

これもよく聞くお話です。

子供のころの楽しい思い出は覚えていないけど、嫌な記憶は覚えてる。

そうなんです。脳は基本ネガティブなんです。って私は考えています。

人間の記憶が定着し始めるのが、大体3~4歳くらいだそうです。

なので、それ以前の記憶はなかなか思い出せないものです。

逆に3~4歳くらいからは、長期記憶が使えるようになるため、この頃の記憶に残っている出来事が、大切な忘れてはならない記憶ということになります。

って、言いたいのですが。そうではないんです。

 

できたてほやほやの脳の中でまず一番に記憶にとどめておかなければならないのは、楽しかった記憶ではないのです。生きていくために必要な「危険からの回避」のための記憶です。

それは、転んでけがをしたというものから、お友達とけんかをして悲しい思いをした。というような、経験から学ぶ学習もあります。

 

また、親から叱られたことに対する記憶も残ります。

 ■いたずらをしたら叱られた

 ■乱暴に扱っておもちゃを壊して叱られた

このように、叱られたことと叱られた理由がはっきりしている学習は、

子供も覚えやすい学習になります

逆に

 ■買ってほしいお菓子をおねだりしたら叱られた

 ■テレビを見ていたら叱られた

という風に、叱られたことと叱られた理由が子供の中で結びつかない場合の記憶は

「???」と残ってしまいます。

そして、理由は分からないけど、お菓子をおねだりしたら怒られるんだな

という風に、子供の中で理解できないまま残ります。

理解できないことは考えます。答えを出そうと考えます。

考えることで、短期記憶から長期記憶に定着します。

「???」フォルダーにしまわれることになります。

それは、お菓子を見るたびに、お店のお菓子売り場を見るたびに思い出します。

 

それとは別にポジティブな記憶です。

子供の喜ぶ顔が見たくて親はあちこちお出かけに連れて行ってくれます。

でも、数年後に「前行ったときのこと覚えてる?」と聞くと、子供は「なんとなく覚えてる」とか「前も来たことあるの?」と、親の望んでいた答えをしてくれません。

これは、悲しいことではないのです。子供の容量の少ない記憶の中で、「家族」「楽しかったこと」というフォルダーにきちんと分類されている証拠です。

「家族」「楽しかったこと」フォルダーの中では、近所の公園で遊んだことも、海外旅行をしたことも、同じ「家族」で「楽しかった」思い出なのです。

大人のように、きちんとデータ管理が出来ないので、データ同士が合体してしまったり、上書きされてしまったり、まぜこぜになってしまっているだけです。

「家族」「楽しかった」と記憶がつながっていれば、それは思い出せなくても楽しかった思い出なのです。言葉で伝えられなくても、感覚は覚えている場合もあるので、

例えば遊園地で前回と同じ乗り物を乗ったとき「あれ?これ知ってるかも?」って断片的に思い出す可能性もあります。

成長過程で見られる発達段階ですので、がっかりしないようにしてくださいね。誰もが通る道です。思い出は、忘れないように、写真や動画でも保存しておきましょう。

 

まとめ

今回は脳の短期記憶と長期記憶をパソコンに例えてお話しました。

そして、思い出せない記憶についても、少しお話しました。

実は私の一番苦手な部分でもあったりします(笑)

 

本当。脳って繊細なんだかでたらめなんだか。

 

 

読んでくれてありがとうございました。

わがままなお願い。

あまねです。

 

体罰の記事について、いくつかのご意見をいただきました。

全てに目を通し、お返事をさせていただきました。

 

自分と異なる考え方のご意見はありがたく真摯に受け止めるつもりです。

私は、体罰や虐待(精神的なものも含む)は絶対にあってはならないという意見は変えるつもりはありません。

それは私の意志であり、私の意見だからです。

 

 

お願いですが、どうか「質問箱」にブログでの質問を送らないでください。

ブログには下にコメント欄があります。

今後、ご意見がありましたら、下記のコメント欄にお願いします。

 

どうしてブログに対するコメントが質問箱に来たのかも謎なのですが。

ブログにはリンクしてないはずなので。

検索したのですか?

まあ、いいです。

 

私の質問箱は、ツイッターと連動してます。

私のメインとしている質問箱と連動しているツイッターは、

主に精神疾患と戦っている人たちとつながっているのです。

 

DMでも聞きずらいことあるかな?と思って、作った質問箱です。

ブログのやり取りをするつもりで作ったものではありません。

 

今回のことで、フォロワーさんにも迷惑をかけてしまいました。

被虐待児であったフォロワーさんの傷口を開いてしまったかもしれない。

そこは私の考えが足りなかった部分です。

 

なので、ブログに関する質問やご意見に関しては、今後質問箱では受け付けません。

コメント欄、もしくは私のツイッターのDMにお願いします。

 

あと、質問箱でいただいたご意見に関しては、匿名性が高いこと、

個人が特定できないこと、何よりも私のアカウントの質問箱であることから

今後ブログにて公開する可能性があることをあらかじめご了承ください。

 

 

 

楽しく心理学のお話が出来るブログ作りを頑張ります!

 

読んでくれてありがとうございます。

しつけと体罰(質問箱)

あまねです。

 

今回は実際に質問箱に投稿された質問の内容について考えながら、しつけと体罰についてお話しようと思います。

なお、今回取り上げる質問箱の質問は、私のフォロワーさんあてに届いたもので、

フォロワーさんからはお許しをいただいての掲載であることを先にお断りしておきます。

 

1.いじめをした息子を殴った父親

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というお話です。よくありがちなお話ですよね。

さて。これはしつけなのか?体罰なのか?と考えると。

 

あなたはどう思いますか?

 

悪いことをして反省しない息子。

いくら説教をしても聞き入れない息子。

 

だったら殴ってもいいのでしょうか?

 

この文面からすると、父親が殴ったのは明らかに体罰にあたります。

何故かというと、殴ったタイミングです。

 

息子が「やーだね」とふざけた態度を取ったときに殴っているのです。

明らかに、父親が感情的に殴っていますよね。

 

以前もお話しましたが、感情的になっている時の親からは、子供は何も学べません。

親だから、とは言いません。親だって人間です。感情的にもなるでしょう。

かといって、感情に任せて手をあげてしまったら、それはもう躾ではなくなります。

 

その後、息子のいじめがなくなったというのも、父親に殴られたからとの因果関係はわかりません。もしかしたら殴られる前の父親からの言葉で反省していたのかもしれません。

また、反省はしていなくても、また殴られるのが嫌だから、いじめるのをやめた可能性もあります。

殴られたからやめたが本当の理由だったら、それこそ体罰ですよね。

そうでないことを願います。

 

2.実際に私が経験したお話

私が中学生のころ、いわれのない噂で、女子からのけ者にされたことがありました。

私は努力とか根性を母親の胎内に忘れてきたので、嫌なら行かない!って、中学はほとんど不登校でした。

 

ある日の夜、家に誰かが来ました。

先頭に立って私をのけ者にしていたクラスメイトとその両親でした。

私が学校に行っていない間に、学校で話し合いがあったそうです。

 

クラスメイトは両親の後ろに隠れていました。

 

私の祖父が対応したのですが、玄関でいきなり彼女の両親が土下座をしたのです。

「私どもが至らないために、大切なお嬢様を傷つけてしまって申し訳ございません」

と大きな声で謝っていました。

クラスメイトは、土下座する両親を立って見ていました。

 

ここで、彼女の両親は、彼女に「お前も謝れ」とか「一緒に土下座しろ」とかは一切言いませんでした。

あくまでも悪いのはそんなことをするように育ててしまった両親にあって、彼女自身は悪くないというスタンスでした。

 

私の祖父も、両親の誠心誠意の謝罪を受け入れました。

「気のすむまで頭をさげてください」

と祖父が言いました。

 

うしろで立っていたクラスメイトは、しばらくすると、「もういいよ」「やめてよ」

「私が悪かったんだから」

と、泣きながら両親の背中に抱きつきました。

 

「何か悪いことをしたのか?」

「いけないとわかっていながらやったのか?」

 

と、祖父が彼女に聞きました。

彼女はだまって頷きました。

 

祖父とクラスメイトのやり取りを聞いていた彼女の母親が、

「何でいけないってわかっていながらこんなこと・・・!」

と、感情的に彼女を叩こうとしました。

その手を、彼女の父親が止めました。というか、娘をかばって父親が叩かれました。

 

「おかあさん、叩いてわからせるのはイヌですよ」

「娘さんは自分のやったことを理解している」

「今日の両親の姿を見ていい勉強になったと思う」

 

と、祖父がその場をまとめました。

帰りは、祖父が来るまで送っていきました。

 

数日後、おそるおそる教室に私は入りました。

あのクラスメイトが抱き着いてきました。「ごめんね」って。

 

でも、あの頃の私には彼女を受け入れることが出来なかったので、

「反省してるなら2度と関わらないで」

と突っぱねてしまいました。

それ以来、口をきくこともなく卒業しました。

 

3.私の体験を書いた理由

これは、質問箱に来たお話との比較に書きました。(事実です)

質問箱のお父さんは、息子を責め続けました

私のクラスメイトのお父さんは娘を一切責めませんでした。

 

息子と娘の違いでしょうか?

 

実はクラスメイトも家では叩かれたのでしょうか?

 

ともあれ、私のクラスメイトは、両親が娘を連れて「謝り」に来たのです。

これは、とても大きいことだと思います。

中学生は未成年で、責任は保護者である親にあります。

それを、体現したのです。娘の前で。

 

「娘は悪くない」

 

と言い切った彼女の父親に、何言ってるの?って当時の私は思いました。

でも、大人になった今なら、責任能力がない娘に代わって謝罪に来ました。

っていう形を取ったのだとわかります。

 

質問箱のお父さんは、息子に何かを示したのでしょうか?

「いじめた相手にあやまれ」と口で言ってもわからない。

なら殴ってわからせる。

 

じゃなくて、父親である自分がお手本を見せるべきだったのではないでしょうか。

子供は親を見て育ちます。

私的には、自分がしたことで親が土下座している姿を見たら、ショックです。

殴られるよりも痛いです。

そして、自分の行ったことがこんなに大変なことだったんだと、事の重大さに気づけると思います。

 

殴られた痛みはしばらくすれば消えてなくなります。

でも、心に刻まれた痛みは消えません。戒めの痛みとなるのです。

 

4.何が言いたいかというと

はい。殴ったりたたいたりする体罰は、しつけにはならないということです。

喉元過ぎれば・・・なんて言葉もあります。

叩かれたその時は、反省もするかもしれないです。でも、その痛みはいつか消えてなくなります。

しつけとして大切なのは、「親の態度」です。何度も言っていますけど。

子供は親の姿を見て育ちます。親の行動から学びます。

 

殴るのは簡単です。一瞬で済みます。

被害者へ謝罪に行くのは、身体ともに負担が大きいです。時間もかかります。

被害者の家族から、何を言われるかもわかりません。

それでも、それを真摯に受け止めて、その姿を子供に見せること。

これが本当の躾なんじゃないでしょうか?

 

あいにく私には産みの母はいますが、父は不在です。

唯一の親である母親も、ほぼネグレクトでした。

私を育ててくれたのは、育ての父母でした。(祖父の妹夫婦)

 

そんな私がしつけだなんだと言っても、伝わらないかもしれません。

それでも、私の希望も含まれているかもしれませんが、

親は子供のお手本になるような行動をとって欲しいなと思います。

 

きっと、いじめていた息子も息子なりの考えがあっていじめてたのでしょう。

「いじめは悪」=「あやまれ」「反省しろ」

だけではなく、その背景にある「何でいじめるのか」をしっかりと見てください。

きっと話をしても、答えないと思います。でも、その時の目の動き、態度など、

いつもと違うところを探して、頑張って探して、言葉にならない言葉を受け止めてください。

 

理想論かもしれませんが、親って本来そうあるべきだと私は思うのです。

いじめもかくす、いじめられてもかくす。

その隠している部分を、子供は必至で隠そうとするけど、絶対に無意識のSOSが発せられています。

 

そのSOSを見つけられなかったとしたら、まず、「気づけなくてごめんね」と言ってほしいです。いきなり起こらないで欲しいです。

 

思春期は特に難しい時期です。

 

殴らないとできないしつけなんて存在しません。

親が示す態度が一番子供の心には響くのです。

 

今回は、質問箱からのお話をさせていただきました。

 

読んでくれてありがとうございました。

 

 

しつけと体罰。

あまねです。

ちょっとツイッターで話題になっていたので、私的意見をお話したいと思います。

 

1.そもそもしつけとは?

しつけとは漢字で書くと「躾」です。

身体が美しいという漢字ですね。

礼儀・作法を教えることという意味だそうです。

 

沢山書くと沢山書けてしまう内容なので、しつけの意味はこのくらいにしておきます。

要するに、お行儀よくするためにすることですね。

 

挨拶をしましょう

お礼を言いましょう

ごめんなさいを言いましょう

困っている人がいたら助けましょう

 

みたいな感じでしょうか?

 

一方で、しつけを間違った使い方をしている親御さんがいることも問題になっていますね。

 

しつけ=自分の思い通りに行動するようにすること

 

という風に。

この考えでは、虐待につながる可能性が大きいです。

何故か?

そこには子供の意見や意志が入り込む隙間がないからです。

子供は子供なりに考えて行動をしています。たとえ大人から見たらばからしい行動だったとしても。

子供は経験がほとんどないので、何が出来るか?どこまでできるか?を毎日自分で見つけているのです。

そして、親のことも良く見ています。成長するときに一番近くにいるお手本となる大人ですから。

親のすることは真似します。女の子は特に「おかあさんごっこ」が好きですよね。

 

まず、しつけをするなら、親がお手本となるようにならないといけないのです。

そんなに難しく考えなくてもいいのです。

 

約束は守る

ルールを守る

子供に嘘を言わない

 

お友達と同じで、親子間でもまずは信頼関係が大切になります。

 

2.いうことを聞かない子供には叩いて教える

最近、実の子でもしつけと称して叩く行為は体罰にあたると話題になっていますよね。

いうことを聞かないと子供に対して思っている親の中には、子供に対して「否定的」「命令的」な言葉ばかりを言う方がいます。

 

しちゃだめ

しなきゃだめ

やりなさい

 

といった風に。

 

否定的な言葉・命令的な言葉ばかりを言われていると、子供はどうしていいのかわからなくなります。何をすれば良いのかわからなくなるのです。

 

褒めて伸ばすっていう言葉がありますよね。

 

褒められるとうれしいです。否定されると悲しいです。

褒められたことはもっとしよう!って、ポジティブな気持ちにしてくれます。

逆に否定されると何ならしてもいいんだろう?って不安定な気持ちになってしまいます。

 

1回叱ったら3回は褒める。

 

私の考えです。叱るよりも褒める回数を増やすことです。

叱るなということ自体が不可能なので、それを補うために褒めるのです。

褒める内容は何でもいいんです。

「今日も怪我無く元気に過ごしてくれてありがとう」

「ごはんいっぱい食べてくれてありがとう」

例えば叱る部分は1か所だったとしても、褒める所は無限にあります。

 

また、叩くという行為ですが、幼児にはそれこそ虐待にあたります。

人間の記憶は3歳頃から覚え始めると言われています。

 

覚えたての記憶の中では、やっぱりインパクトが強いものが大人になっても鮮明な記憶として残ります。

インパクトが強いものは、楽しかった思い出でもなく、悲しかった思い出でもなく、

痛かった思い出なんです。

 

親「子供のころよく〇〇に連れて行ったじゃん」

子「そうだっけ?覚えてないや」

 

なんて話はよく聞きますよね。親としては残念だと思いますけど。

それよりも

 

「子供のころおやじによくなぐられたな」

 

という話もよく聞きますよね。

痛かった方が記憶に鮮明に残りやすいのです。

 

何故、痛かったことが記憶に残りやすいのか?

それは、「痛い=命の危機」だからです。

 

人間は痛みに弱い生き物です。大けがをしてすごく痛いと、気を失います。

木を失えなくても、骨折していても痛みを感じない場合もあります。

私も経験したことがありますが、大けがをすると、痛みで死んでしまわないように、脳から痛みを緩和する物質が放出されます。モルヒネの数倍という強力な麻薬に似た物質です。

そんな機能がもともと備わっている人間です。痛い思いをしたい人なんて大人だっていません。

ましてや小さな子供を叩いて痛い思いをさせるということは、それだけ苦しい体験をさせてしまうということです。

 

叩かれた子供は、叩かれた痛みだけを覚えて何故叩かれたのかまでは考えが及びません。

「叩かれた=痛かった」だけが記憶に残るのです。

そして、痛みを和らげるために「泣く」のです。泣いて叩かれたストレスを発散するのです。これも、自己防衛機能です。

叩かれた子供は、叩かれた痛みと戦いながら、これ以上叩かれたくないから、これ以上痛い思いをしたくないから、理由は分からなくても「ごめんなさい」と口にします。

ここで親が勘違いしてはいけないことは、そのとき子供が

 

何に対して

あやまっているのか

 

を、わかっているかどうかです。

 

泣いている=反省している

と勘違いしてしまうと、それはしつけではなく、体罰ということになってしまいます。

 

子供を叱るときは

 

何に対して

どうしておこっているのか

どうしてほしかったのか

何がいけなかったのか

 

をしっかりと教えることも忘れないようにしてください。

叩きっぱなしはNGです。

 

いうことを聞かない子供は、叩きたくなる気持ちもわかります。

ただ、叩けば言うことを聞くようになるのでしょうか?

 

3.やがて体罰から虐待になる

叱るときに叩いていると、段々叩く強さも強くなっていきます。

最初はちょっと触るくらいだったのに、これじゃいうことをきかない。

もっと強くたたかないとこの子にはわからない。

という風に、叩く強さがエスカレートしていきます。

 

また、叩かれてばかりの子供は、叩かれることの恐怖からおとなしく、親に従順になっていきます。自分の意志が出せなくなってしまいます。

 

こんなに叩かれるのは、自分が悪い子だからだ。

自分はいらない子なんじゃないか?

みんなこんなに叩かれているのか?

 

と、考えるようになります。

常に親の顔色を窺い、親が不機嫌な態度の時はびくびくし、叩かれるときまで従順になってしまいます。

学校で隣の子が授業中に手をあげただけで、頭を覆うような反射的な行動をとってしまいます。

力も能力もまだ未熟な子供が親の暴力から逃れるすべはないのです。

 

親の言うことを聞くよいこ

なのか

恐怖で従順になっているのか

 

はたから見たら見極めは難しいかもしれません。

 

自分も叩かれて教育されてきたから。

 

という方もいます。

自分がそうされてきたから、子供も叩いていいのでしょうか?

叩かれた子供のころ、叩かれてうれしかったですか?楽しかったですか?

自分の子供にも、同じ気持ちを味合わせたいですか?

 

もし、叩くことがしつけと思っているのなら、それはあなたの「トラウマ」になっている可能性があります。

子供のころの嫌な記憶・辛い記憶は、大人になっても付きまといます。

それが「トラウマ」です。

 

トラウマは、専門家による治療をしても克服できるかどうか難しい問題です。

それを虐待を言わずになんといえばよいのでしょうか?

 

4.自分は良くて他人はダメ?

ニュースで学校での先生からの体罰の話を耳にします。

学校には体罰禁止!体罰反対!

と口をそろえて言っている親御さんの中に、わが子を叩く人もいるでしょう。

親は叩いてもいいんだ。しつけだから。

先生は叩いたらダメだよ。人の家の子供に何をするんだ!

って感じですか?

矛盾してると思いませんか?

自分は良くて他人はダメなんてことはありません。

他人がダメなことは自分もダメなんです。

 

5.子供とは

長々と書いてきましたが、じゃ、どうすればいいの?

聞き分けのない子供はどうすればいいの?

って言われそうですね。

 

しつけのしかたはその家その家それぞれです。

教育方針に私は口出しはしません。

叩きたいなら叩けばいい。

私には関係のないことだから。

 

って、言いたくもなりますが。言いません。

 

子供は大人に比べて語彙力も少なく、表現力も未熟です。

言いたいことを上手に伝える能力がまだないのです。

どう伝えればいいのかわからないから態度にでる。

それがいたずらだったり、親を困らせるようなことかもしれない。

でも、子供がそういう態度を取るには必ず理由があるのです。

 

どうして

こんなことしたの?

おかあさん悲しいな

何か困ったことがあるの?

 

叱る前に、まず理由を聞いてあげてください。

たどたどしくも、自分のもっている言葉でちゃんと伝えてくれます。

わからなかったらとりあえず、ぎゅーつって抱きしめてあげてください。

親を困らせる子供の多くは、親からの愛情に飢えています。

私は十分に愛情を注いでる!

って言われるかもしれませんが、それはあくまでもあなたの考え。

子供にはまだ足りてないのかもしれないです。

最後に抱きしめた日を覚えていますか?

覚えていない人は、速攻抱きしめてあげてください。

最大の愛情表現はスキンシップです。

言葉の入らない愛情表現です。

 

そして、子供はいつまでも子供ではありません。

日々成長しています。

いつまでも手のかかるわがままな子供のままではありません。

子供の長い人生、まだ始まったばかりです。

親の物差しで子どもを見ず、子供の物差しで見てあげてください。

時には同じ目線になって、子供の心に寄り添ってみてください。

親の意見ばかりを押し付けるのではなくて、子供の意見も聞いてみましょう。

 

そう。いつまでも子供は子供じゃないんです。

ひとりの人間として生きているのです。

いつかは親元を離れていくでしょう。

結婚をして親になるときが来るでしょう。

その長い人生のほんの数年です。ほんの数年で子供は離れていってしまいます。

楽しい思い出だけで埋め尽くしたくないですか?

 

6.最後に

何だかまとまらない文章になってしまいました。ごめんなさい。

最後ですが、叩かれて育った私の意見を書きます。

叩かれたとき、何を考えてるのかっていうと

「くやしい」です。

「何で叩かれなきゃいけないの?」です。

「そこまで酷いことしてないじゃん」です。

反発心しかありませんでした。

 

小学校高学年、中学生にもなると、ごめんなさいなんて言わないです。

反発心しかありません。時期的なものもあると思いますが。

私は家にいる時は部屋に引きこもりでした。

中学はほとんど行きませんでした。

家にいたくなくて家出も何回かしました。

 

今でも、「あの時叩かれてよかった」なんてこれっぽっちも思いません。

何で叩かれたのかは覚えていなくても、家のどこでどういう風に叩かれたのかは覚えています。

 

そして、私の中に出来上がったのは、

「気に入らないことがあったら叩いてもいいんだ」

という暴力的な思考でした。

 

実際に暴力的な時期もありました。

家の窓はヒビが入っています。床やふすまは穴が開いています。

暴力で教えられることは、暴力だけ。

これが私の結論です。

 

子供を叩いたらいけないのは、可哀そうだからでもなく、決まりだからでもなく、

暴力が連鎖するからです。負の連鎖です。

叩いて育った子供は、逆に親が言うことを聞かなかったら、暴力を振るいます。

何故?親自身がそう教えたからです。

 

いうことをきかなかったら叩いてもいいって。

 

 

読んでくれてありがとうございました。

 

 

 

生理心理学。

こんにちは。あまねです。

今年初のブログです。

現在テストにむけて、猛勉強中です💦

今日は生理心理学についてお話します。

生理心理学は、他の心理学のお勉強とは一線を画すというか、どちらかというと脳のお勉強でした。

脳の構造から神経や脳内ホルモンなど、始めから終わりまで脳のお勉強でした。

なので、本当に私は一体何の勉強をしてるんだろう?と疑問を感じてしまったりもしました。

違う!私が勉強したいのはこういうことじゃない!って、何回か匙を投げようとも思いました。

ただ、一通りテキストを終わらせてみて、やっぱり心理学だなーって思いました。

心理学は、人の心を研究する学問です。
目に見えない心というものを理解しようとする学問です。

人の心に寄り添うことも心理学です。
生理心理学は、見えない心を見えるようにすることで、心を理解しようとする学問だと思います。

脳波を測定して、精神状態と比較する。
ホルモンを調べて、精神状態と比較する。

また、事故などにより脳を損傷した患者さんを調べることで、脳のどの部分がどんなことに使われているのかを調べる。

先天性心疾のある患者さんから、どこに疾患があると、どういう風に脳が働くのかを調べる。

とにかく、そういうことの繰り返しを通して、少しずつ理解を深めていこうという学問です。

なので、生理心理学の教授は言います。

心理学は科学

だと。

とはいえ、脳のすべてが解明されたとして、本当に人の心がわかるようになるのでしょうか?

心は自分自身のものでさえわからないときがあったりするのに、わかるようになるのでしょうか?

教授はこうも言いました。

今から何年、何十年、何百年後に・・・

と。

心については紀元前から色々な方法で研究されてきています。凄く長い時間をかけても未だ解明されていないのです。

すぐに結果は出なくても、今行っている研究が引き継がれ、あるいは否定され、また新しい仮説が生まれ、続いて行くんでしょう。

心を、データ化する。
この事に違和感を感じない訳ではないですが、
生理心理学の発展も、心理学全体からすると、とても大切なんだなと、思います。

もし、生理心理学を学ぼうと思われている方がいましたら、まず、脳の仕組みを軽く予習してからの方が理解が深まるかと思います。

今までと違う方向から心理学を勉強した感じです。


読んでくれてありがとうございました。

精神障害者に対する過去の対応策。

あまねです。

 

今回は、表題のとおり、過去のお話をします。

精神疾患自体は、ずっと昔から知られていて、人類の歴史とともにありました。

ただ、昔は今よりも医学が発展していなかったし、そもそも精神疾患というカテゴリーがなかったので、

「あいつは変な奴」

「おかしい人」

と、偏見の目で見られていました。

 

心理学は哲学から始まった。

大学でいくつかの講義を取りましたが、歴史を遡るとまず出てくるのが

アリストテレス」さんです。

古代ローマの哲学者です。

アリストテレスさんは、「こころ」や「魂」についてとても熱心に研究をされた方で、

この「こころ」というひとつのテーマを作ったことからも、心理学のはじまりと言われているそうです。

令和の現在でも、「こころ」をきちんと説明することが出来る人はいないですよね。

人間が生存している間の永遠の課題なんでしょうね。

 

宗教は心理学。

次に、宗教ですが、私は言うほど宗教には詳しくないので、さらっとお話します。

例えば世界最大の宗教である「キリスト教」(宗派全て含めて)ですが、

その「聖書」に書いてあることは、今でいう道徳に近いものなのです。

旧約聖書は、特にファンタジー色が濃く、映画にもなったりしますよね。

十戒」はその良い例です。

気になる方は、チェックしてみてください。

 

さて。多くの人が信仰する宗教ですが、宗教によっては特に厳しい戒めが課せられいますよね。

食べるものまで決まっている宗教もあるみたいです。

戒めが厳しければ厳しいほど、人は信仰心が強くなると言います。

神の言葉に従えば、幸せになれるという安心感がそうさせているのだと思います。

 

無宗教が多い日本人にはちょっとわかりにくいお話ですね。

宗教は、心理学そして精神障害者にも大きく影響を与えてきます。

 

例1.アドルフ・ヒトラーの理想としたもの。

ヒトラーという名前を知らない人はいないと思います。

どのようなイメージに感じますか?

 

鍵十字でちょび髭をはやして、残虐な性格な軍人。

 

多くの人はそういうイメージを持っていると思います。

今でもヒトラーさんについての研究が行われているほど、影響力が強かった人というのは間違いないでしょう。

 

ヒトラーさんの理想とした世の中は、世界大戦を起こすことでもなく、ユダヤ人を虐殺することでもなく、穏やかな幸せな日常を全ての人々に送ってもらいたいという、めちゃくちゃ平和なものだったんです。

 

ヒトラーさんは、精神障害者を「隔離」しました。

教科書ではこの一行しか書かれません。なぜ?なぜ「隔離」したのでしょうか?

障害者に対する「偏見」でしょうか?

仕事をしない人に対する「罰」でしょうか?

 

当時のヨーロッパは今と違って、偏見と差別の多い世界でした。

見世物小屋」という、身体に障害を持って生まれてきた人々が、「見世物」として扱われていました。結合双生児はとても有名で、今でも写真が残っています。

また、性に関してもだらしなく、強姦・売春あたりまえでした。

キリスト教の国なのにね)

そんな性の道具として扱われたのが、精神障害者でした。

勉強もできず、仕事もできず、家族からものけ者扱いされていた精神障害者が唯一できた仕事です。

こころない人は、精神障害というだけで、人間ではない、動物と同じような扱いをして、もてあそんだそうです。

 

ヒトラーさんはこのように身体障害をもった人、精神障害を持った人を守るために、「隔離」しようとしたのです。

また、性の道具として扱われてしまうと、結果的に妊娠・出産となってしまいます。

キリスト教では、中絶は禁止事項でしたので(ここは守るんだね)、妊娠したら産まなければなりません。

ヒトラーさんは、精神疾患は「遺伝」するものという考えから、これ以上悲しい精神障害者を増やしてはいけない。という考えもあったのです。

 

障害者を世間から「隔離」して、これ以上障害者を増やさない。

 

これがヒトラーさんの考え方です。

 

「隔離」と書いてはいますが、私は「保護」の方がしっくりきます。

それだけ、差別が激しい時代だったということです。

 

このことが、その後のアウシュビッツ事件に繋がるのですが、今回は省略します。

 

治療法も特効薬もない、原因もわからない時代では、「隔離」するしか方法がなかったのですね。

決して「臭いものにふたをする」的な事ではなかったので、誤解がないように。

 

※あまねはヒトラーさん肯定派というわけではないですよ。

 

例2.信じられない手術。

次は、精神疾患を手術によって治療しようとしたお話です。

ご存じの方も多いと思いますが、「ロボトミー手術」と言われるものです。

 

脳の機能が少しずつ解明されてきて、大雑把に脳が溝によって5つに分類され、

そのひとつひとつに役割があるとわかってきたころのことです。

 

主に暴力的な精神障害者に対して、前頭葉を摘出するという、今では考えられないような手術が行われたのです。

CTもMRIもない時代です。

鼻から棒を差し込んで、前頭葉の辺りをこねくり回して掻き出すというかなり乱暴な手術です。(ちょっとミイラつくりに似てます)

 

このロボトミー手術を行った患者は、まるで人が変わったかのようにおとなしくなり、

患者の家族は大喜びだったそうです。

 

実際にこの手術を考案した医師は、ノーベル賞を受賞したんです。

 

評判は評判を呼び、世界中の医師がこのロボトミー手術をこぞって行いました。

当初は暴力的な精神障害者に行われていた手術でしたが、患者欲しさに、症例欲しさに、手術を行われる患者は疾患に関わらず「精神病」というだけで、どんどん手術をされたそうです。

 

この手術は、患者の家族や周囲の人々にはとても喜ばれました。

手に負えない暴れん坊が、おとなしく椅子に座っているのですから。

もう、暴力におびえることも、物を破壊されることもありません。

 

では、手術を受けた患者はどうでしょう?

ほとんどの患者さんが、手術後の後遺症に悩まされ続けたそうです。

なんといっても、上記に書いたように適当で乱暴な手術なわけですから。

後遺症が出ない方が不思議なくらいです。

 

ただ、前頭葉を失ってしまった患者さんは、自分の思いを伝えることも難しくなります。体も思うように動かせなくもなります。

物覚えも悪くなります。できないことが増えてしまったのです。

 

様々な後遺症から、自殺を図ってしまう患者さんが世界中で起こり、

最終的に現在では行われていない手術です。

前述したノーベル賞も、なかったことにされてしまったようです。

 

この手術をめぐっては、日本では殺人事件まで起こりました。

この事件についても、ネットで検索すれば出てきますので、興味のある方は検索してみてください。

 

まとめ。

このように、今では信じられないようなことが、過去には行われていたのです。

昔の人の考え方もそうですが、今なら違うよって言えることも、その当時はそれが正しく、それが正義だったのです。

もしかしたら、何年後かに今現在の精神障害者に対する私たちの接し方、対応、治療方法が、笑われたり、ありえないって驚かれたりするかもしれません。

 

今、目の前にあることだけが正しいわけではないのです。

医学が進歩すれば、それだけ助かる人が増えるでしょう。

でも、人間の「こころ」は古代ローマ時代から普遍で変わらないのでしょうね。

本当、こころってわからない。わからないから知りたくなります。

 

読んでくれてありがとうございました。

 

 

確証バイアスと詐欺。

あまねです。

 

今回は確証バイアスのお話です。

 

以前行った4枚のカードの実験でもお話したように、

人は否定することが得意ではないのです。

否定することが得意でないのと、タイトルの詐欺とどうつながるのかというと、

ひとつづつ検証していきましょう。

 

今回例とするのは、「オレオレ詐欺(電話)」です。

各方面の努力もあって、減ってきてはいるとはいえ、年間でまだまだ

相当な被害者がいますよね。

 

被害者たちは、どうして詐欺を見破れなかったのでしょうか?

 

1.電話がかかってくると・・・。

まず、家の電話が鳴ると大抵の人は、

 

「自分の知っている人からかかってきた」

 

と思います。

それは、知ってる人からの電話の方が、知らない人からの電話よりも圧倒的に回数が多いからです。

そして、知ってる誰かからの電話と思って電話に出ます。

 

はい。これが第1の「確証バイアス」です。

 

 

2.受話器の向こうから「オレ」。

知っている人からかかってきたと思っている電話に出たら、受話器の向こうから

 

「オレだけど・・・」

 

という声。

本来ならば、「オレ」だけでは誰かは分かりませんよね?

でも、思ってしまうのです。

「オレ」と名乗るということは、「自分の知っている人である」と。

元々知っている人からと思っている電話を取っているので、

「オレ」の一言で「自分の知っている人である」という考えが正しかったと思い込んでしまうのです。

 

そして、その「オレ」の声の中から、「誰の声だっけ?」と声の主を探します。

本当は聞いたことがない声であっても、探してしまうのです。

「あなたは誰ですか?」なんて、失礼と思って尋ねられなくなってしまうのです。

 

これが弟2の確証バイアスです。

 

3.最も身近に感じさせるとどめの一言。

「誰の声かな?」って返事を躊躇している被害者に、声の主はとどめの一言を発します。

 

「かあさん」「ばあちゃん」など。

 

そう。被害者のことをそう呼ぶのは、家族だけです。

ここで声の主が誰だかだいたい絞られてきます。

 

「長男かな?」「次男かな?」「孫かな?」

 

でも、なんかいつもと声が違う。違和感を感じます。

話し方も、自分を呼ぶ声もなんか違う。

 

それでも電話の向こうからは、自分を呼ぶ声がする。

 

しばらく会ってなかったし・・・

最近風邪が流行っているから・・・

 

こう、被害者は声の違和感を否定するような「言い訳」をしてしまいます。

ここが、被害に遭うか合わないかの分岐点です。

 

自分の感じる違和感を「否定」せず、「肯定」しようと「言い訳」を考えてしまう。

これこそ、確証バイアスそのものなのです。

 

ここで、自分の違和感に素直に従えば、詐欺に引っかからずに済むかもしれません。

 

大切な子供や孫からのSOSです。

冷静に考えればばからしい手口でも、

「まさかうちの子が私に嘘をつくなんて!」って、また確証バイアスが

働いてしまうのです。

 

確証バイアスの無限ループですね。

 

4.確証バイアスはいつでもあなたと一緒にいます。

今回は詐欺に引っかかってしまう心理を、確証バイアスという言葉を使ってお話しました。

でも、確証バイアス自体は人の中に必ずあるもので、それから逃れることは本当にできないことなのです。

それは、あなたたの育った環境が影響しているかもしれない。今までの経験からかもしれない。

 

ただ確実に言えることは、人は「否定」することが苦手な生き物だということです。

 

たまには、疑って世の中を見てみるのも楽しいかもしれないですね。

 

読んでくれてありがとうございました。