あまねの心理師への挑戦

現在放送大学で心理学を学んでいます。 メンタル心理カウンセラー取得。上級心理カウンセラー取得。

しつけと体罰。

あまねです。

ちょっとツイッターで話題になっていたので、私的意見をお話したいと思います。

 

1.そもそもしつけとは?

しつけとは漢字で書くと「躾」です。

身体が美しいという漢字ですね。

礼儀・作法を教えることという意味だそうです。

 

沢山書くと沢山書けてしまう内容なので、しつけの意味はこのくらいにしておきます。

要するに、お行儀よくするためにすることですね。

 

挨拶をしましょう

お礼を言いましょう

ごめんなさいを言いましょう

困っている人がいたら助けましょう

 

みたいな感じでしょうか?

 

一方で、しつけを間違った使い方をしている親御さんがいることも問題になっていますね。

 

しつけ=自分の思い通りに行動するようにすること

 

という風に。

この考えでは、虐待につながる可能性が大きいです。

何故か?

そこには子供の意見や意志が入り込む隙間がないからです。

子供は子供なりに考えて行動をしています。たとえ大人から見たらばからしい行動だったとしても。

子供は経験がほとんどないので、何が出来るか?どこまでできるか?を毎日自分で見つけているのです。

そして、親のことも良く見ています。成長するときに一番近くにいるお手本となる大人ですから。

親のすることは真似します。女の子は特に「おかあさんごっこ」が好きですよね。

 

まず、しつけをするなら、親がお手本となるようにならないといけないのです。

そんなに難しく考えなくてもいいのです。

 

約束は守る

ルールを守る

子供に嘘を言わない

 

お友達と同じで、親子間でもまずは信頼関係が大切になります。

 

2.いうことを聞かない子供には叩いて教える

最近、実の子でもしつけと称して叩く行為は体罰にあたると話題になっていますよね。

いうことを聞かないと子供に対して思っている親の中には、子供に対して「否定的」「命令的」な言葉ばかりを言う方がいます。

 

しちゃだめ

しなきゃだめ

やりなさい

 

といった風に。

 

否定的な言葉・命令的な言葉ばかりを言われていると、子供はどうしていいのかわからなくなります。何をすれば良いのかわからなくなるのです。

 

褒めて伸ばすっていう言葉がありますよね。

 

褒められるとうれしいです。否定されると悲しいです。

褒められたことはもっとしよう!って、ポジティブな気持ちにしてくれます。

逆に否定されると何ならしてもいいんだろう?って不安定な気持ちになってしまいます。

 

1回叱ったら3回は褒める。

 

私の考えです。叱るよりも褒める回数を増やすことです。

叱るなということ自体が不可能なので、それを補うために褒めるのです。

褒める内容は何でもいいんです。

「今日も怪我無く元気に過ごしてくれてありがとう」

「ごはんいっぱい食べてくれてありがとう」

例えば叱る部分は1か所だったとしても、褒める所は無限にあります。

 

また、叩くという行為ですが、幼児にはそれこそ虐待にあたります。

人間の記憶は3歳頃から覚え始めると言われています。

 

覚えたての記憶の中では、やっぱりインパクトが強いものが大人になっても鮮明な記憶として残ります。

インパクトが強いものは、楽しかった思い出でもなく、悲しかった思い出でもなく、

痛かった思い出なんです。

 

親「子供のころよく〇〇に連れて行ったじゃん」

子「そうだっけ?覚えてないや」

 

なんて話はよく聞きますよね。親としては残念だと思いますけど。

それよりも

 

「子供のころおやじによくなぐられたな」

 

という話もよく聞きますよね。

痛かった方が記憶に鮮明に残りやすいのです。

 

何故、痛かったことが記憶に残りやすいのか?

それは、「痛い=命の危機」だからです。

 

人間は痛みに弱い生き物です。大けがをしてすごく痛いと、気を失います。

木を失えなくても、骨折していても痛みを感じない場合もあります。

私も経験したことがありますが、大けがをすると、痛みで死んでしまわないように、脳から痛みを緩和する物質が放出されます。モルヒネの数倍という強力な麻薬に似た物質です。

そんな機能がもともと備わっている人間です。痛い思いをしたい人なんて大人だっていません。

ましてや小さな子供を叩いて痛い思いをさせるということは、それだけ苦しい体験をさせてしまうということです。

 

叩かれた子供は、叩かれた痛みだけを覚えて何故叩かれたのかまでは考えが及びません。

「叩かれた=痛かった」だけが記憶に残るのです。

そして、痛みを和らげるために「泣く」のです。泣いて叩かれたストレスを発散するのです。これも、自己防衛機能です。

叩かれた子供は、叩かれた痛みと戦いながら、これ以上叩かれたくないから、これ以上痛い思いをしたくないから、理由は分からなくても「ごめんなさい」と口にします。

ここで親が勘違いしてはいけないことは、そのとき子供が

 

何に対して

あやまっているのか

 

を、わかっているかどうかです。

 

泣いている=反省している

と勘違いしてしまうと、それはしつけではなく、体罰ということになってしまいます。

 

子供を叱るときは

 

何に対して

どうしておこっているのか

どうしてほしかったのか

何がいけなかったのか

 

をしっかりと教えることも忘れないようにしてください。

叩きっぱなしはNGです。

 

いうことを聞かない子供は、叩きたくなる気持ちもわかります。

ただ、叩けば言うことを聞くようになるのでしょうか?

 

3.やがて体罰から虐待になる

叱るときに叩いていると、段々叩く強さも強くなっていきます。

最初はちょっと触るくらいだったのに、これじゃいうことをきかない。

もっと強くたたかないとこの子にはわからない。

という風に、叩く強さがエスカレートしていきます。

 

また、叩かれてばかりの子供は、叩かれることの恐怖からおとなしく、親に従順になっていきます。自分の意志が出せなくなってしまいます。

 

こんなに叩かれるのは、自分が悪い子だからだ。

自分はいらない子なんじゃないか?

みんなこんなに叩かれているのか?

 

と、考えるようになります。

常に親の顔色を窺い、親が不機嫌な態度の時はびくびくし、叩かれるときまで従順になってしまいます。

学校で隣の子が授業中に手をあげただけで、頭を覆うような反射的な行動をとってしまいます。

力も能力もまだ未熟な子供が親の暴力から逃れるすべはないのです。

 

親の言うことを聞くよいこ

なのか

恐怖で従順になっているのか

 

はたから見たら見極めは難しいかもしれません。

 

自分も叩かれて教育されてきたから。

 

という方もいます。

自分がそうされてきたから、子供も叩いていいのでしょうか?

叩かれた子供のころ、叩かれてうれしかったですか?楽しかったですか?

自分の子供にも、同じ気持ちを味合わせたいですか?

 

もし、叩くことがしつけと思っているのなら、それはあなたの「トラウマ」になっている可能性があります。

子供のころの嫌な記憶・辛い記憶は、大人になっても付きまといます。

それが「トラウマ」です。

 

トラウマは、専門家による治療をしても克服できるかどうか難しい問題です。

それを虐待を言わずになんといえばよいのでしょうか?

 

4.自分は良くて他人はダメ?

ニュースで学校での先生からの体罰の話を耳にします。

学校には体罰禁止!体罰反対!

と口をそろえて言っている親御さんの中に、わが子を叩く人もいるでしょう。

親は叩いてもいいんだ。しつけだから。

先生は叩いたらダメだよ。人の家の子供に何をするんだ!

って感じですか?

矛盾してると思いませんか?

自分は良くて他人はダメなんてことはありません。

他人がダメなことは自分もダメなんです。

 

5.子供とは

長々と書いてきましたが、じゃ、どうすればいいの?

聞き分けのない子供はどうすればいいの?

って言われそうですね。

 

しつけのしかたはその家その家それぞれです。

教育方針に私は口出しはしません。

叩きたいなら叩けばいい。

私には関係のないことだから。

 

って、言いたくもなりますが。言いません。

 

子供は大人に比べて語彙力も少なく、表現力も未熟です。

言いたいことを上手に伝える能力がまだないのです。

どう伝えればいいのかわからないから態度にでる。

それがいたずらだったり、親を困らせるようなことかもしれない。

でも、子供がそういう態度を取るには必ず理由があるのです。

 

どうして

こんなことしたの?

おかあさん悲しいな

何か困ったことがあるの?

 

叱る前に、まず理由を聞いてあげてください。

たどたどしくも、自分のもっている言葉でちゃんと伝えてくれます。

わからなかったらとりあえず、ぎゅーつって抱きしめてあげてください。

親を困らせる子供の多くは、親からの愛情に飢えています。

私は十分に愛情を注いでる!

って言われるかもしれませんが、それはあくまでもあなたの考え。

子供にはまだ足りてないのかもしれないです。

最後に抱きしめた日を覚えていますか?

覚えていない人は、速攻抱きしめてあげてください。

最大の愛情表現はスキンシップです。

言葉の入らない愛情表現です。

 

そして、子供はいつまでも子供ではありません。

日々成長しています。

いつまでも手のかかるわがままな子供のままではありません。

子供の長い人生、まだ始まったばかりです。

親の物差しで子どもを見ず、子供の物差しで見てあげてください。

時には同じ目線になって、子供の心に寄り添ってみてください。

親の意見ばかりを押し付けるのではなくて、子供の意見も聞いてみましょう。

 

そう。いつまでも子供は子供じゃないんです。

ひとりの人間として生きているのです。

いつかは親元を離れていくでしょう。

結婚をして親になるときが来るでしょう。

その長い人生のほんの数年です。ほんの数年で子供は離れていってしまいます。

楽しい思い出だけで埋め尽くしたくないですか?

 

6.最後に

何だかまとまらない文章になってしまいました。ごめんなさい。

最後ですが、叩かれて育った私の意見を書きます。

叩かれたとき、何を考えてるのかっていうと

「くやしい」です。

「何で叩かれなきゃいけないの?」です。

「そこまで酷いことしてないじゃん」です。

反発心しかありませんでした。

 

小学校高学年、中学生にもなると、ごめんなさいなんて言わないです。

反発心しかありません。時期的なものもあると思いますが。

私は家にいる時は部屋に引きこもりでした。

中学はほとんど行きませんでした。

家にいたくなくて家出も何回かしました。

 

今でも、「あの時叩かれてよかった」なんてこれっぽっちも思いません。

何で叩かれたのかは覚えていなくても、家のどこでどういう風に叩かれたのかは覚えています。

 

そして、私の中に出来上がったのは、

「気に入らないことがあったら叩いてもいいんだ」

という暴力的な思考でした。

 

実際に暴力的な時期もありました。

家の窓はヒビが入っています。床やふすまは穴が開いています。

暴力で教えられることは、暴力だけ。

これが私の結論です。

 

子供を叩いたらいけないのは、可哀そうだからでもなく、決まりだからでもなく、

暴力が連鎖するからです。負の連鎖です。

叩いて育った子供は、逆に親が言うことを聞かなかったら、暴力を振るいます。

何故?親自身がそう教えたからです。

 

いうことをきかなかったら叩いてもいいって。

 

 

読んでくれてありがとうございました。