あまねの心理師への挑戦

現在放送大学で心理学を学んでいます。 メンタル心理カウンセラー取得。上級心理カウンセラー取得。

ネガティブ思考。

あまねです。

 

季節の変わり目は、体調を崩しやすいですね。

特に最近はコロナウイルスや花粉など、ストレスの多い日常です。

マスクが手に入らなくて、不安を感じている方も多いかと思います。

 

精神疾患を患っている人(私も含めて)にとっても、季節の変わり目は

体調が不安定になる時です。

どうしても心身ともに天候に左右されてしまうので、暖かかったりまた寒くなったりという寒暖の変化や、気圧にも影響を受けてしまいます。

 

それを知ったうえで、「今日調子が悪いのは天気のせい」って思えるようになれば、

少しは気持ちも楽になるのでしょうか。

 

気持ちだけは、誰にも立ち入ることが出来ない領域があります。

その人の大切にしている部分です。

とても繊細な場所です。

そこに無理して立ち入ろうとすると、大変なことになってしまいます。

例えば、

 ■否定する

ことがそれですね。

 

考え方は人それぞれです。自分と意見が違うからと言って否定しても解決にはなりません。

何でそういう考えかをするのだろう?と、まずは自分に聞いてみてください。

人それぞれ、違った考えがあるから、世の中うまく回っているのだと思います。

皆がみんな同じ考えであったら、間違った方向に進んでいても、誰もそれを止めることができません。

 

自分と意見が異なる人と出会ったのなら、その人から吸収してください。

ああ、こういう考え方もあるんだなって。

腹は立ちます。怒りたくもなります。

でも、怒ったところで自分んにストレスがかかるだけで良いことなんて何もないです。

そして、本当に無理だなってときは、距離を置くなりさよならするなりして、自己防衛をすればいいだけのことです。

 

なにが言いたいのかというと。

今、自分が考えていることをカテゴリーに分けてみた時に、

 ■ポジティブな考えなのか

 ■ネガティブな考えなのか

 ■感情に任せているだけなのか

のどの分類に当てはまるのかを見極めて欲しいのです。

これは、言うのは簡単。実行するのは難しい作業です。

 

なので、とりあえず紙に書き出してみるのがいいです。

書き出したものを読んでみて。

それをどう感じるか。

自分の考えを客観的に見る練習にもなります。

 

精神疾患に限らずですが、病気を患ったとき

一番困るのが、「本人に治療をする気がない」ことです。

周りがいくら治療に時間や努力をつぎ込んでも、当の本人が治療を受ける気がないのなら、何をやっても無駄なだけです。

 

どうして治療をする気がないのか。

それを知らない限りその先には進めません。

いくら説得しても難しい問題です。

 

「病は気から」という言葉があります。

 

私は「気」は本人が治療を受ける「気」があるかどうかだと思っています。

決して気持ちだけで治る病気なんてないからです。

 

どうせ治療したって・・・

治ったところで自分なんて・・・

 

と思っている人が治療に対して前向きになってくれる方法は分かりません。

かといって、放置するわけにもいかないです。

 

治療する気がないのなら、もう来るな!

 

なんていう医師もいるでしょう。

言いたくなる気持ちもわかります。

 

でも、ほんのちょっとでも、今より良くなりたいと思っているのなら、

まずは自分の気持を治療を受けようという方向に向けることが大切です。

そして、治療には長い時間がかかります。

すぐに結果を求めてはいけません。

 

いくら薬を飲んでも良くならない

とか

やるだけやったからもう死んでもゆるしてもらえるだろう

とかいう発想が頭をよぎったら。

 

来年の自分のことを想像してください。

去年の自分のことを振り返ってください。

今だけの自分で判断しないでください。

 

一生このまま同じ場所で足踏みしている人なんてだれ一人いないです。

必ず、去年よりも今、今よりも来年と、前に進んでいるのです。

過去には戻れないので、強制的に前に進まされているのです。

 

どうせ前に進むしかないのなら。

人波に流されて進むのと、自分で生きたい方向に進むのと

どちらが良いでしょう?

 

自分の本当の味方は自分だけ。

自分を本当に信じてくれるのは自分だけ。

 

その自分を裏切ることのないようにしてもらいたいのです。

 

来年の自分から感謝される自分であってほしいです。

私もそう思いながら病気と向き合っています。

 

アカシジアで下半身を切り取ってしまいたいという衝動が度々起きます。

リボトリールというお薬を服用していますが、どうにもおさまらないです。

おかげで足は切り傷だらけです。

それでも、その症状を受け入れ、うまくお付き合いをしていかなければならないのが私です。

いつかはおさまるって信じているので。

 

今は辛いけど、来年はどうだろう?

 

それだけで生きています。

 

だから、今ネガティブな方向にしか物事を考えられない人も、いつか前向きになれるきっかけが待っています。

その前向きになれるきっかけも、自分で見落としてしまったり、せっかく見つけたのに捨ててしまってはもったいないです。

そうならないためにも、自分のことを信じて、諦めないでいて欲しいです。

 

どうにもならないのなら、医療機関に頼りましょう。

福祉課のお世話にもなりましょう。

 

だって、病気なのだから、当たり前のことです。

プライドが邪魔をしているなら、捨てちゃいましょう。

元気になったらまた拾えばいいのです。

 

精神疾患は命にかかわる重篤な病気です。

必ず適切な治療を受けるようにしてください。

そして、処方されたお薬は決められた方法で服用してください。

たくさん飲めば良くなるものでもないです。

 

お薬で気持ちを少し上げてもらうお手伝いをしてもらって、

自分で前向きに治療を考えてもらえたらいいと思います。

 

 

まずは、自分が治りたい!治すんだ!という気持ちが必要です。

大丈夫。その気持ちがあれば治ります。

 

一緒に前を向いて進みましょうね。

 

 

読んでくれてありがとうございました。

 

私が片付けられない理由。

あまねです。

 

最近何かと話題になる「汚部屋」ですが、私もその住人です。

といっても、生活ごみは片付けているし、掃除もしています。

私が「汚部屋」なのは、物があふれかえっている、いわゆる

 

片付けられない・捨てられない

 

状態なのです。

 

物は増える一方、捨てることが出来ないので、収納スペースがなくなり、

部屋の片隅に100均のかごが重なってタワーになってます。

つまり、このタワーの中身は

 

普段手を付けないもの

 

なのです。

 

普段手を付けないもの=なくても良いのでは?

と思われるかもしれませんが、私には捨てられないのです。

 

そうなってしまったのも、理由があります。

 

数年前私は本気で自殺を考えました。

本気で死のうと思い、まず考えたのが

 

最低限の迷惑で死ぬ方法

 

でした。

 

自殺はどうしても他人を巻き込んでしまいます。

遺体を片付けないといけない人。

私の遺品を片付けないといけない人。

などなど。

 

そこで私は、死んでから人に見られたくないものや、

お金にならないものを全部捨てました。

親にばれないように少しずつ減らしていきました。

 

その中には、お金にはならないけれど、大切な思い出や宝物もありました。

 

結局、間際になって恐怖が勝り、自殺を決行することはできなかったのですが、

生き残った私を待っていたのは、

 

全く思い出のない

 

現実でした。

自分から手放した思い出たち。

生き残ってしまった今、手放したことを後悔するものもたくさんあります。

 

何故捨ててしまったのだろう。

どうして今手元にあってくれないんだろう。

 

もう、捨ててしまった思い出たちは、私の頭の中にしかありません。

ものすごく後悔したのです。

 

お金にはならないけれど、お金では買えない思い出たち。

 

それから、ものを捨てるという行為が怖くなってしまい、今の状態です。

お見せできませんが。

 

チケットの半券や、仕上がった塗り絵。千羽鶴

 

どうでもいいもので、部屋が埋まっています。

 

いつかは捨てなければならないけれど、まだもう少しだけ、

生き残ってからの思い出とともに過ごしていきたいのです。

 

多分手放せるときは、それらの思い出に頼らなくても良くなったらでしょう。

それがいつかは分かりません。

いつか、さよならするときがあるからこそ、今はその思い出に頼りたいのです。

 

そんなわけで、今日も物であふれかえった部屋にいます。

いつか、すっきりさせたいな。

 

 

読んでくれてありがとうございました。

いつまで続くのか?

あまねです。

 

今日は「いつまで続くのか」というお話です。

 

これは、私のような疾患者に特に共感してもらえることだと思うのですが、

 

■いつまでこの病気は続くのか?

■いつまでこの辛い状態は続くのか?

 

と、先の見えないゴールの見えない治療にうんざりしてしまう時があります。

 

大変な仕事も、辛い受験勉強も、必ずゴールはあります。

ラソンやスポーツ全般もそうです。

永遠に終わらない競技はありません。

 

病気の治療には、ゴールの見えないものが多くあります。

うんざりします。

放棄したくなります。

もう、どうでもいいやとやけになったりもします。

 

かといって、やけになったところで病気はいなくなりません。

ずっとストーカーのように私のそばから離れません。

 

自暴自棄になってしまう時もあります。

いっそのこと死んでしまおうかと思うこともあります。

 

ただ、ゴールがないなら自分で作ればいいんじゃないのかな?

と、ふと思ったのです。

 

病気を完治(寛解)することを目標にしているから、辛くなってしまう。

放棄したくなってしまう。やけになってしまう。

 

そう。病気の治療をしていく上で、完治(寛解)をゴールにするのは目指すところが高すぎるのです。

手が届かない雲の上のものを掴もうとしているようなものです。

そんなことをしていても、疲れてしまうだけです。

 

そう気づいたのです。

 

なので、先の見えないゴールを目指すのではなく、手に届くところにひとまず仮のゴールを置いてみる。なんでもいいです。自分が出来ることをゴールにするのです。

 

今の自分にできることをゴールにするという事が大切です。

 

朝ご飯は家族と食べる

とか

5分でも外出する

とか何でもいいんです。

 

私の1年前からの目標は、

 

1日1回は外に出る

 

です。

できるだけ引きこもらないようにするためです。

最初はすごくハードルが高く感じました。

でも、あえて外出する理由を作ることで、外出せざるを得ない状況に

自分を置いたのです。

 

今日食べるものしか買わない➡翌日も買い物に行かないとならなくなる

親の送迎をする➡時間が一定なので生活リズムを作りやすい

 

という感じです。

その人その人のペースに合わせたゴールを決めればいいと思います。

 

そして、ゴールにたどり着けたら、そこからまた手の届く範囲で新しいゴールを決めればいいのです。

 

何でもそうですが、一度に一気にやろうとしても、途中で集中力が切れて飽きてしまったり、中途半端に終わってしまうことはよくあることです。

そうすると、「自分は何もできない」「だめなやつだ」と、自分を責めてしまうことになります。

 

そうならないために、出来る範囲のことから仮の小さなゴールを決めて、その小さなゴールをいくつも通過することによって、結果本当の大きなゴールにたどり着けるのではないでしょうか?

 

お部屋の掃除を例えてみると、一度に全部の場所の掃除は骨が折れます。

今日はリビング

明日は台所

というように、小分けにしてお掃除をすると、意外とお掃除が苦痛ではなくなります。

余裕があれば、昨日もしたけど、台所掃除のついでにリビングもするかな。

という風に、心に余裕も出てきます。

 

全部完璧じゃなくてもいいんです。

全部完璧にできる人なんて存在しないです。

存在しないものになろうなんて無理なことはしなくていいのです。

 

私も自分に言い聞かせます。

「今」は辛い。

じゃあ、「明日」も辛いのか?

 

それは明日になってみなければわかりません。

今日辛かったら、明日辛くならないように、今日出来ることをゴールに決めて

「とりあえず横になって落ち着こう」というゴールでもいいのです。

 

そして、調子のよい時に思わずできなかったことを取り戻そうと、あれもこれもしたくなるのですが、

調子が良い時は、「神様が病気のお休みをくれた日」と思って、あえて何もしなかったり、今までできなかった趣味や映画を見たり、カラオケに行ったりといった、

病気と日々闘っている自分にご褒美をあげる日にして欲しいです。

ごろごろしてるだけでもいいんです。

調子の悪い時と絶好調の時のごろごろは、全く感じ方が違いますから。

 

病気が長引くと、前向きになれなくなります。

小さなゴールは、そんな前向きになれなくなった気持ちを、「達成感」を感じることによって少しずつ前向きに変えてくれると思います。

 

きれいごとのように感じるかもしれません。

病気の症状は人それぞれです。

ただ、「こんなことしかできない」から「これは確実にできる!」という自信に

考え方を変えていってほしいなと思います。

 

できないことを探すのではなくて、出来ることをたくさん探してください。

 

無駄に息してる自分は邪魔な人間だ➡息しいてる自分偉い!

いなくなった方がましな人間だ➡心臓動かしてる自分偉い!

薬ばかりの毎日にうんざり➡ちゃんと処方通りお薬飲んだ自分偉い!

 

意外と褒めようと思えば褒めれることってあるんです。

 

誰も褒めてくれないなら、せめて自分を自分で褒めてあげましょう。

自分だけは自分の見方でいてくださいね。

 

私の治療はまだまだ続きます。

もしかしたら死ぬまで終わらない治療の旅かもしれません。

それでも、うつでも、できるんだ!ってところを示したいですね。

これは大きな目標です。

出来ることからこつこつと。

貯金と一緒です。

 

前向きになる貯金を一緒にしませんか?

 

 

読んでくれてありがとうございました。

 

薬物使用は犯罪なのか?

あまねです。

 

昨日、依存症の方の当時社会に参加させていただきました。

その中で、インパクトがあったお話が、タイトルの

 

「薬物使用は犯罪なのか?」

 

です。

 

確かに薬物は法律で規制されていて、罪も罰も決められています。

当時社会の中でも、色んな意見交換が出来たのですが、

現役刑務官の方が、口火を切ってこの話題になったのです。

 

刑務官の方は、服役したからといって、薬物依存が治るわけでもない。

また、薬物を使用して刑務所に戻ってくる人が多い。

本当に刑務所に入れることが、薬物対策になるのだろうか?

 

と、実際の現場での生の声を聞かせてくださいました。

 

薬物は再犯率が高いです。

刑務所に収監している間は、薬物から離れた生活が送れるでしょう。

でも、一旦出所してしまうと、残念なことに薬物は簡単に手に入れることが出来てしまうのです。

 

売人が悪いのは当然のことです。

でも、目の前に薬物をぶら下げられたら、それを拒否できる強い意志を刑務所で得ることができるでしょうか?

 

一度でも薬物を使用してしまうと、脳かその刺激を欲しがってしまいます。

それは、自分の意志ではコントロールできないのです。

薬物に限らず、全ての依存症という病気に共通するのですが、一度依存してしまった物を断ち切るには、そうとうの努力と時間が必要になります。

 

薬物依存者にとって本当に必要なのは、薬物に二度と手を出さないと固く決意出来る場所。一人では絶対にくじけてしまうので、それを支える人達。

本当に必要なのは、そういう事なんじゃないでしょうか?というお話でした。

 

実際に、更生施設も全国にありますが、多くは民間のNPOの活動で成り立っています。

薬物に依存した人たちが一緒に生活し、勉強し、支えあいながら自立に向けて訓練を知る施設です。

 

多くは若い人で、地元の人との交流も薬物依存から脱却するためにとても影響しているそうです。

 

まずは、薬物依存の方を色眼鏡で見ず、「依存症という病気の人」ということを頭において考えてみるのがいいかもしれないな・・・と思いました。

 

私も、お話を聞くまでは、薬物=悪というイメージを持っていたので、薬物依存に苦しんでいる当事者の方とお話をさせていただいた感想は、本当にごく普通の人なんです。

どこにでもいるような普通の人なんです。

 

どこで道を踏み外してしまったのかは、後からわかることであって、最初から「依存するぞ!」と思って依存症になる人はいないという事です。

 

これはどんな精神疾患にも通じるもので、私もなりたくてうつ病になったわけではないので、とても共感する部分がありました。

 

薬物依存から抜け出すために本当に必要なものは?

 

また、今回の当時社会の代表の方がお話されていたのですが

 

 ■ギャンブル依存=病気

 ■アルコール依存=病気

 

で、精神科などで治療を受けることが基本になり、そこには刑事罰はありません。

たとえ、借金をしても、罪に問われることはないのです。

民事訴訟は別にして)

なのに、なぜ薬物依存だけは病気ではなく、罪になってしまうのか。

同じ依存症ではないのか?

という事を訴えておられました。

 

一理あると思ってしまいました。

 

その為に必要なのは、依存症の原因となるもの(薬物を販売する人)をもっと厳しく罰する必要がある。今の刑罰だと罪が軽いから、気軽に売買をしてしまう。

というお話がまず1つ。

それから、依存症の方を受け入れ、治療する施設を作ることが必要。

薬物使用で懲役刑を科せられ、出所した方は、行き場がない人が多いとのことです。

 

家族からも見放され、仕事もなく、途方に暮れて、現実逃避をするかのようにまた薬物に手を出してしまうと。

薬物に頼らなくても楽しく生活が送れる環境こそ、治療のために必要なのではないか?というお話でした。

 

依存症の怖いところ

依存症は、自覚がない場合がほとんどだそうです。

周囲が「やめて」と言っても、本人は依存している自覚がないので、何故止められるかが分からないんだそうです。

家族がやめさせるために、現金を取り上げても、現金欲しさに家族に暴力を振るったり、ひったくりや強盗など、罪を重ねてしまうケースが多いそうです。

お金欲しさに罪を犯してしまうのです。

正常な判断をさせなくなるくらい、依存は根っこが深い問題です。

脳内の「ドーパミン」が、刺激を欲しがって暴走してしまうのです。

もう、頭の中は依存しているもののことでいっぱいで、他のことは考えられない状態です。

アルコール依存症の方の中には、家族にお酒を捨てられたり隠されてしまうと、消毒用にエタノールを飲んでしまう人もいるそうです。

 

依存症は自分でコントロールできないという点で、本当に怖い病気です。

多分、一番怖いのは自分がコントロールできない本人だと思います。

 

薬物依存になってしまう原因

これも、当事者の方のお話から分かったことなのですが、

テレビなどのメディアにより、「薬物を摂取するとこんな危険な状態になる」

というある意味「おどし」ともとれる過剰な恐怖心をあおる報道が逆に依存を増長させているというのです。

誰でも、最初に使う時は、恐怖があります。

テレビでいっていたように、人格が変わったようになってしまうのだろうか?といった不安が付きまといます。

でも、実際に使ってみたら。

 

なんだ。大したことないじゃん。ちょっと陽気になるくらい?

 

と、想像していた症状と、実際自分が体感した症状とのギャップに驚くそうです。

この「思ったよりたいしたことない」という感想が、「いつでもやめられそう」とか

「もうちょっと強くしても大丈夫だろう」という考えに繋がっていってしまい、気が付いたら依存症になってしまう。というのです。

 

私たちは、薬物について正しい知識を持ち合わせていません。

「危険」「使用したらダメ」

という禁止は教えてもらえます。

「幻覚が見える」「現実と夢の区別がつかなくなる」

といった症状も教えてもらえます。

でも、実際にどうなのか。どうしてダメなのかという根本的な所については教えてもらっていない気がします。

 

使っちゃダメなものなんだから、使わなければ教える必要もない

 

という人もいるでしょう。

でも現実は多くの薬物依存症の方が苦しんでいるのです。

もっと正確な情報を、誰でも簡単に得ることが出来る機会を設けることが、

薬物依存症患者を増やさない1つの防波堤になるのではないでしょうか?

 

と、今回の当事者会に出席して感じました。

 

ギャンブル依存症は親から引き継がれる?

最後にギャンブル依存症についてもお話しておきます。

ギャンブル依存症になる方は、圧倒的に若い人が多いです。

10代から20代が多いそうです。

そういう人は、初めてギャンブルをした年が比較的若いのです。

早い人では小学生のころからギャンブルをしているとか。

 

それは、競馬場や競輪場が昔に比べて入りやすい環境になっている事。

家族でも楽しめますよという雰囲気を作り出していることも原因の1つのようです。

ここで重要なのは、ギャンブル場に子供を連れて行ってはいけないという事ではなく、

子供に例えお遊びのつもりでも、ギャンブルをさせてはいけないという事です。

例えば「次のレース、お前は何番が来ると思う?」というようなことを子供に聞くことです。子供にレースの結果を予想させることです。

 

例えお金をかけていなくても、予想が当たればうれしいし、外れたら悔しいです。

このうれしいと悔しいの気持ちが、結果的にギャンブル依存症にさせてしまうのです。

また、当たったときのうれしさを味わいたい。悔しい思いをして帰りたくない。

そう思ってしまうのです。

しかも子供の脳は未発達です(20歳くらいに出来上がるというお話です)

未発達の脳に強烈な刺激を与えるので、大人よりも依存しやすくなってしまうのです。

 

その点を注意して、家族で楽しく競馬場や競艇場などで過ごしてください。

連れていかないに越したことはありませんけどね。

 

 

ということで、今回は当時社会を通して見えてきた、今まで知らなかったことをお話しました。

賛否両論あると思います。難しい問題です。

何かありましたら、コメントお願いします。

 

私もお勉強させていただきます。

 

読んでくれてありがとうございました。

 

寄り添うということ。

あまねです。

 

今日のお話は「寄り添う」という言葉についてです。

元々寄り添うという言葉の意味は、

 

ぴったりとくっつく

 

という、物理的な距離を指します。

 

いつからか、精神的にも同じような意味でつかわれてきたようです。

今、ネットで検索しても、本来の物理的な距離での意味よりも、

精神的な距離での解釈の方が多くみられます。

 

ただ、私個人としては、この「寄り添う」という言葉が、心理学を学び始めてからどうもしっくりこなくて、あまり使いたくないし、聞きたくない言葉です。

 

自分でもなかなかその理由が分からなかったのですが、何となくですが、

 

私は寄り添ってもらいたくない!

 

っていう自分の気持ちがあることに気づきました。

 

なんというか、パーソナルスペースに入り込まれてしまうような感じがしてしまうのが、使いたくない理由なのかもしれないです。

もっと、使いやすい言葉があればいいのになぁ~って考えてます。

 

一番しっくりするのは「共感」ですが、共感するだけでもその先には進めません。

相手と同じ気持ちになったうえで、その先が必要だからです。

この「共感」に対しても、一部の自称カウンセラーを名乗る人が、誤った使い方をしていて、一度それとなく注意?みたいなことをしたのですが、

 

「自分には自分のやりかたがある」

 

と突っぱねられてしまいました。

 

具体的にいうと、

Aさんは自殺を考えていました

自称カウンセラーを名乗る人は、Aさんに共感して自殺の方法を教えていました

 

これは「共感」ですか?「寄り添う」ことですか?

 

私は、共感したり寄り添ったりしても、一緒にネガティブな方向へ進むことは

違うと思うのです。

 

自称カウンセラーを名乗る人は、

 

「具体的な自殺の方法を教えれば、怖くなってやめるはずだから」

 

と言います。

本当でしょうか?根拠はあるのでしょうか?

 

私も何名かの人に、「死にたい」を相談されたことがありますが、

死に方を教えるなんて恐ろしいことは考えたこともなかったです。

 

実際にカウンセラーの資格はピンキリで(以前もお話しましたが)

しっかりと実習も受け、専門的知識も先輩カウンセラーから教授しているカウンセラーさんもいれば、お金さえ払えば誰でも取得できる(言い方は悪いですが)カウンセラーもいます。

 

それは、特に国で基準を設けていないから、様々な団体がカウンセラー養成講座を開いているからです。臨床心理士に近い深い専門性のある知識を教えてくれるところから、それこそスピチュアルなものに近いところまで、探せばいくらでも見つかります。

 

心理師の国家資格が最近できたばかりなので、カウンセラーに対する国としての基準が出来るまではまだまだ時間がかかりそうです。

 

なので、相談するときは、どのようなカウンセラーなのか、しっかりと見極めないとなりません。

ネットで簡単に相談できるとか、無料で話を聞いてくれるから(ツイッターのDMなどで)という安易に活用できるカウンセラーさんは、相談する前に口コミを見てくださいね。

一部の心ない自称カウンセラーを名乗る人のために、頑張っているカウンセラーさんが同じような目で見られると思うと悲しくなります。

これはどんな職業でも言えることですけど。

 

私は一応カウンセラーの資格?は持っていますが、まだまだ人様の相談を仕事にするほどの技術も経験もありません。

公に「私に相談してください」とはとても言えないです。

 

ただ、私のことを頼って苦しい胸の内をお話してくれた方には、全力で力になれたらと、それだけは心に誓っています。

 

でも、やっぱり私の心の中で常に引っかかるのが「寄り添う」という言葉です。

多分、カウンセラーをお仕事にしたとしても、私はクライエントさんに「寄り添う」ことはできないと思います。

寄り添うことが「抱きしめる」ことだとすると、私は横に座るのが精一杯です。

ただ、クライエントさんから「抱きしめて」来られたら、全身で受け止めたいとは思っています。

 

なので、私は「寄り添う」カウンセラーではなく「寄り添われる」カウンセラーを目指しているのだと思います。

私から主体的にクライエントさんに歩み寄るというよりは、クライエントさんが歩み寄りたくなるようなカウンセラー。

それが私の理想です。

 

まだまだ未熟な私なので、また実習などで経験を積めば考えが変わるかもしれませんが、今はこういう考えでいます。

 

クライエントさんにも様々な方がいるので、カウンセラーさんも多様であっていいですよね?

 

でも、自称カウンセラーを名乗る人のような「共感」の仕方には「反対!」と声をあげてこれからも活動していきます。

 

読んでくれてありがとうございました。

 

 

もし、差し支えなければ、あなたの理想のカウンセラーさん像を教えてください。

 

Twitter

@keepittgether01(あまね)

カウンセリング。

あまねです。

 

今日はカウンセリングを受けてきました。

今まで4回受けたのですが、情けないことに本日も含めて

3回も遅刻しています。

 

なかなか時間が守れないのが今の問題です。

 

時間を守るというのは、基本的な社会生活を送る上で、必要最低限の決まり事です。

それすら、まともにできないなんて、本当に落ち込んでしまいます。

 

来月こそは!遅刻しないで行くぞ!!

 

そして、今日は私が大学で勉強していることを中心にお話をしました。

カウンセラーさんが言うには、今の私が困っている事は

 

①時間が守れないこと

②文字が読めないこと

 

に絞られているという事です。

この2つがクリアできれば、また一段寛解に向けての階段を上ることが出来るのでしょう。

 

そのためのアドバイスとして

 

スマホのアラーム機能の活用

②定規を使って本を読む訓練

③普段使っていない脳の活用

 

が挙げられました。

 

③が難しいですね。

普段使っていない部分って具体的にどこでしょうか?

 

カウンセラーさんが言うには、私は人とモノの見方が違うというのです。

人とは違う観点から物事を見ていて、それが他の人には理解しにくい。

上手くコミュニケーションが取れなく、自分のことをコミュ障と思ってしまうと。

 

コミュ障=ネガティブなイメージなので、それをまず変えていこうと言われました。

皆同じ考え方だと、間違った方向に進んでいっても気づけない。

でも、一人でも皆と違った考え方を持った人がいれば、間違いに気づけるかもしれない。正しい方向に軌道修正が出来るかもしれない。

あまねさんは、そういう役割なのかもしれないねって、いうお話でした。

 

まあ、昔から集団での生活は苦手でしたし、ちょっと変わってるって言われてきたので、その理由がはっきりと言ってもらえたのは、今回のカウンセリングの収穫でした。

 

そうか。

私は、人とモノの見方が違うのか・・・。って。

 

皆さんの世界はどんな世界ですか?

多分、みんな違う世界を見ていると思うのです。

そこに共通点が多くあるか、ないかの違いなのかな?って解釈します。

 

歩み寄りも大切。歩み寄られたときに受け入れることも大切。

自分の考えにしがみつかず、固まらず、柔軟に対応できるようになりたいです。

 

 

よんでくれてありがとうございました。

認定カウンセラー。

あまねです。

 

大学のテストも終わり、牛歩な勉強しかできない私は、すでに1学期のテスト勉強を始めています(笑)

 

というのも、2020年度から、「公認心理師」のための専門科目が導入され、

全く新しい授業が始まるからです。

まだ、テキストも授業内容も未知数な科目になるため、

既存のテキストや授業内容の分かっているものから始めておかないとならないのです。

 

そして、今学期のテストの成績表は2月の下旬にはわかるのですが、

もし、試験がうまくいっていれば、「認定心理士」の審査に申し込むことが出来ます。

 

晴れて、認定心理士になったら、次は公認心理師を目指したいのですが、それには

時間がかかります。

途中でくじけてしまうかもしれない。モチベーションを保てないかもしれない。

そんな私に教えてもらったのが、タイトルの「認定カウンセラー」です。

 

これは、定められた10領域のうち、既定の科目の試験に合格すれば、特1級から2級までの3段階で、認定が得られるものです。

こちらの認定カウンセラーも、目標のひとつにしようかと思います。

 

というもの、認定心理士になれれば、科目免除で1級の試験が受けられるのです。

私としては、やっぱり特1級を目指したいのですが、その足掛かりに、とりあえず1級から目指してみたいと思います。

本来ならば、6領域の試験に合格しないとならないのですが、認定心理士の資格を持っていると、3領域の試験に合格すれば1級が取得できるのです。

 

少しずつ、自分に自信をつけるためにも、挑戦してみようと思います。

 

先日、ツイッターに「うつの時には資格試験の勉強はするな!」というものがありました。

私も最初勉強を始めた時は、本当に辛くて、大変でしたが、その大変さよりも

試験に合格した時のうれしさや、資格が取れた時の喜びの方が多く、

しかもやりきることが出来たことが自分の中で大きな自信につながりました。

 

どうしてもネガティブな感情に負けそうになってしまうのですが、こうやって努力したことが結果として「見える」ことは私の中では良いリハビリとなっています。

一概に「するな!」ではなく、治療法も個人個人に合った方法で行うことが大切だと思います。

 

たまたま私は「勉強」というリハビリ方法が合っていたということで、お勧めするわけではありません。

 

旅行に行くことがリハビリになる人もいるでしょう。

読書をすることがリハビリになる人もいるでしょう。

お家でごろごろとのんびりしているのがリハビリになる人もいるでしょう。

 

ひとそれぞれ。自分に合った方法を実施すればいいのです。

もし、それでだめならまた他の方法を探せば良いのです。

ダメだったからと言って、無駄な時間、無意味なことをやったとは思わないでください。

何事もやってみなければわかりません。

やってみてダメだった、自分には合わなかったという結果も、また、やってみないとわからないのです。

最初からやらなかったら、良いか悪いかの判断も尽きません。

きっかけは何でもいいです。

何でもいいです。

興味が持てたら、積極的に挑戦してみましょう!

 

大好きなアニメが出来た。

グッズが欲しい。

秋葉原に行こう!

 

これも立派なリハビリです。

 

興味のあるもの、好きなものができることは、リハビリの第一歩に繋がります。

 

今、何も楽しくない。何にも興味がない。

って思っている人もいるかもしれません。私もそうでした。

そういう時は、まだリハビリをするには時期早々という事です。

大丈夫。その時が来れば、自然と興味は沸いてきます。

 

人それぞれ。時間がかかってもいいじゃないですか。

自分の人生です。

ぜひ、後悔しないように挑戦していきましょう!

 

失敗は成功のもと。

転ばなければ起き上がり方も覚えられません。

 

世の中、いらない経験なんて犯罪以外ないんです。

病気になってよかったことなんて何にもないけど、これも「私」の人生の1ページ何だと思って、この先に刻むページをより華やかにするために必要な時期だったのかもしれないです。

 

皆様に華やかな人生が、この先待っていますように。

 

 

読んでくれてありがとうございました。